退職後の競業禁止義務を定めた合意の有効性

 

 勤務先の会社と競合する会社へ転職することや、競合する事業内容の事業を行う会社の設立などを禁止する義務を「競業避止義務」といいます。

 

 

原則:退職後に競業避止義務はない

 

 在職中、労働者は、労働契約上の信義則(労働契約法第3条4項)に基づいて会社に対する競業避止義務を負うとされており、就業規則の中にも競業避止義務が定められている例が多くあります。

 

 これに対して退職後は、元労働者に職業選択の自由があるため当然に競業避止義務はなく、元労働者に競業避止義務を課すには個別の合意が必要となります。

 

 

有効な競業避止義務に違反した場合のペナルティ

 

 有効な競業避止義務の合意があり、これに違反した場合、元労働者は以前の勤務先から損害賠償請求を受けたり競業行為の差し止めを求められることがあります。

 

 また、中には退職後の競業避止義務に違反したことを退職金の不支給や減額の事由として定めているところもあり、合意に違反して退職後に競業行為に及んだ場合、退職金が支給されなかったり減額されたりするほか、一旦支給された退職金の返還を求められるといったトラブルが発生することもあります(競業避止義務と退職金の関係については後述)。

 

 

競業避止義務の合意の有効性

 

 退職後の競業避止義務を定める合意は労働者の職業選択の自由を制約するものであり、内容によっては再就職や起業が難しくなるなど労働者に対して重大な影響を与えるものです。

 

 そのため退職後の競業避止義務の合意は、いかなる場合でも無条件に有効になるわけではなく、裁判例上、一定の縛りがかけられているのが実情です。

 

 

有効性はどう判断する?

 

 競業避止義務の合意が効力を有するかどうかは、まず、①労働者の自由意思による合意があったかどうかが問題となり、次に、②その合意が必要かつ合理的な内容かどうか、が問題となります。

 

【①労働者の自由意思】

 

 たとえば、労働契約書や就業規則には何も記載がないにもかかわらず、退職する際に突然、競業を禁止する内容を含む誓約書を示し、これに署名することが退職金の支払条件であるといった話をしたり、労働者を狭い個室に呼び出し、数名がかりで取り囲んで会社側が事前に用意した誓約書にその場ですぐ署名するよう執拗に求めるといったように、拒絶しがたい状況の中でサインさせたような場合、自由意思に基づく合意がなかったとして競業避止義務の合意そのものが否定される可能性があります。

 

【②合意の必要性・合理性】

 

 たとえ労働者の自由意思による合意があっても、労働者が負う競業避止義務による不利益の程度や使用者の受ける利益の程度、競業避止義務が課される期間、労働者への代償措置の有無等の事情に照らして必要かつ合理的な範囲を逸脱したものである場合は、そのような合意は公序良俗に反して無効となるというのが過去の裁判例の傾向です。

 

 なお、競業避止義務の効力については、合意全体が無効となる場合だけではなく、競業が禁止される内容を合理的な範囲に制限する(=一定限度で有効とする)というケースもあります(福岡高裁令和2年11月11日判決など)。

 

 競業避止義務の必要性・合理性を検討するための判断要素をより具体的に列挙すると以下のとおりですが、このうちのどれか一つだけで有効・無効が決まるわけではなく、これらの事情を総合的に考慮したうえで有効性が判断されることには注意を要します。 

 

必要性・合理性の判断要素

競業禁止の目的や必要性の有無、程度

・競業避止義務を課す会社側に保護に値する正当な利益(特別なノウハウや営業秘密など)があるかどうか、保護すべき利益の重要性はどの程度か 

元従業員の立場・職務内容

・在職中、その労働者が競業避止義務によって守るべき会社の利益にアクセス可能な地位や職務にあったかどうか

禁止される競業行為の範囲

・再就職や起業自体が禁止されるか、会社の既存顧客に対する営業行為だけが禁止されるのか

・禁止される業務内容や職種に限定があるかどうか 等

競業が禁止される期間

・期間が短いほど職業選択の自由への制約が少ないため有効とされやすい

地域の限定の有無や範囲の広さ

・会社の商圏から離れた地域まで禁止対象となっていると、会社が守るべき利益は乏しいとして無効となりやすい。ただし、ノウハウなどの保護が目的の場合は地域を限定しても目的が達成できないことから、守るべき利益次第ではこの点は有効性の判断に影響しないこともありうる

代償措置の有無・内容

・職業選択の自由を制限するための対価とみうるものが労働者に提供されていると有効となりやすい

 

競業避止義務の合意を無効とした近時の裁判例

 

 最近の裁判例でも、上記のような事情を総合的に考慮して競業避止義務を定めた合意の有効性を判断し、結論として無効と判断したものがあります。

東京地裁令和4年5月13日判決

【競業避止義務の内容】

①禁止行為

・会社との取引に関係ある事業者への就職

・会社の客先に関係ある事業者への就職

・会社と取引及び競合関係にある事業者への就職

・会社と取引及び競合関係にある事業の開業・設立

 

②禁止期間:退職後1年間

 

③禁止される競業行為の範囲

転職先の業種、職種の限定はない。

 

④競業が禁止される地域の限定

地域の定めはない。

 

⑤代償措置

手当、退職金その他退職後の競業禁止に対する代償措置は講じられていない。

 

会社の事業内容】

主にシステムエンジニアを企業に派遣・紹介する株式会社であり、具体的な作業については各派遣先・常駐先・紹介先会社の指示に従う

 

在職時の労働者の職務】

システムの設計、開発、テスト等

 

在職時の労働者の地位】

システムエンジニア

 

【裁判所の判断】

会社は主にシステムエンジニアを企業に派遣・紹介する株式会社であり、具体的な作業には各派遣先・常駐先・紹介先会社の指示に従うものとされていた。

 

・システムエンジニアの従事する業務内容に照らせば、会社がシステム開発、システム運営その他に関する独自のノウハウを有するものとはいえないし、元従業員がそのようなノウハウの提供を受けたと認めるに足りる証拠もない。

 

→会社が退職後の競業避止義務を定める目的・利益は明らかとはいえない。

 

合意により会社が達しようとする目的は明らかではないことに比べ、元労働者が禁じられる転職等の範囲は広範であり、その代償措置も講じられていないことからすると、競業禁止義務の期間が1年間にとどまることを考慮しても、競業避止義務を定めた合意は、その制限が必要かつ合理的な範囲を超える場合に当たるものとして公序良俗に反し、無効。

 

競業避止義務違反を退職金の不支給や減額の事由とする場合

 

 競業避止義務に違反した場合は主に損害賠償や競業行為の差し止めが問題になりますが、そのほかにも、競業避止義務に違反したことを退職金の不支給や減額の条件としている場合もあります。

 

 この点について、名古屋高裁平成2年8月31日判決は、就業規則に退職後6か月以内に同業他社に就職した場合は退職金を支給しないという条項があったケースについて、このような定めは退職従業員の職業選択の自由に重大な制限を加える結果となる極めて厳しいものであるから、退職金を支給しないことが許容されるのは労働の対償を失わせることが相当であると考えられるような顕著な背信性がある場合に限る、と判示しています。

 

 以上のように、退職後の競業避止義務違反と退職金の支給とを連動させた場合には、先ほど述べたような諸要素からの判断だけではなく、+αの条件として顕著な背信性があることが必要とされる可能性があります。

 

 

事業者側の注意点

 

 競業避止義務自体は事業者の持つ独自のノウハウなどを守るために有用ですが、あまりにも広すぎたり期間が長すぎたりするようなものは無効とされてしまいますので、自社の利益と労働者の利益とをバランスよく考える必要があります。 

 

 競業避止義務に関する合意の効力については多くの裁判例があり、そのような過去の裁判例を参考にすることで有効と判断されやすい内容とすることが可能ですので、退職労働者に対して競業避止義務を課すことを検討しているときは過去の裁判例をもとにした事前のリサーチが有効と思われます。

 

労働者側の注意点

 

 他方、退職した労働者側としては、競業避止義務が有効とされた場合、再就職や起業に制約を受けることになるほか、あとになってから損害賠償請求や差止請求などを受けるリスクが生じることから、安易にそのような記載のある書面にサインすることは禁物です。

 

 もっとも、ここでご説明した通り競業避止義務について合意してしまったとしても、内容によっては無効とされることもあります。

 

 実際に相談を受けていると、競業避止義務の合意を盾に損害賠償請求を受けているものの、内容をみると期間が長すぎたり範囲が広すぎる、代償措置も全く講じられていないなど問題の多い合意内容となっていることがありますので、そのようなトラブルが起きたときは弁護士に相談して対応を協議することをお勧めします。

 

弁護士 平本丈之亮 

任意整理を検討する際の注意点

 

債務整理の方法の一つとして「任意整理」という手法が存在しますが、最近、他の法律事務所や司法書士事務所に任意整理を依頼したものの、途中で支払いきれなくなり、当事務所で自己破産や個人再生の依頼をお引き受けするといったケースが出てきているため、今回は任意整理を検討する際の注意点についてお話しします。

 

任意整理とは?

 

任意整理とは、貸金業者やクレジットカード会社等からの負債について、弁護士や司法書士が代理人として介入して債権者と交渉し、概ね3年から5年の範囲内で分割払いの和解契約を締結する債務整理の手法です。

 

自己破産や個人再生など裁判所を通じた「法的整理」ではないことから、「任意」整理と呼ばれています。

 

任意整理のメリットや限界

 

任意整理は、手持資産の処分が不要であることや、法的整理と異なって官報に掲載されないこと、債権者の理解が得られるならば将来の利息をカットできる場合もあること、法的整理のように多数の資料を準備する必要がないことなど、多くのメリットがあります。

 

もっとも、任意整理はあくまでも現在抱えている負債を分割して支払うものであり、将来の利息については交渉次第でカット可能ではあるものの、それを超えて元金を割り込む形での解決は容易ではありません。

 

このように、任意整理は自己破産や個人再生のような法的整理と異なり債務元本の減免にはならないことが一般的であるため、実際の生活状況を踏まえ、長期間の支払いが本当に可能かどうかしっかりと検討した上で行わなければ、単に解決を先延ばしにしただけに終わり、最終的に破綻してしまう危険性もある方法です。

 

任意整理が失敗した場合のデメリット

 

繰り返しますが、任意整理そのものは、きちんと返済能力を吟味した上で行えばメリットのある整理方法です。

 

しかし、もっとも重要であるこの部分を曖昧なままにして安易に任意整理を選択してしまうと、失敗して以下のようなデメリットが生じることがあります。

 

任意整理に失敗した場合のデメリット

①任意整理中に支払った金額が無駄になる

 

任意整理で支払った額は、その後に自己破産や個人再生をしても戻ってきません。

 

たとえば、400万円の負債を抱えて任意整理し、100万円を支払った時点で力尽きた場合、支払いをした100万円は無駄となりますが、はじめから自己破産などの手続をしていればその分を貯蓄などに回せていたはず、というケースがあります。

 

②任意整理のために費用を支払った結果、自己破産や個人再生の依頼に支障が生じることがある

 

任意整理に失敗した場合、自己破産や個人再生によって解決せざるを得ないと思われますが、そのために別途依頼する費用が必要になり、はじめから自己破産や個人再生をしていた方が費用が抑えられたという例もあります。

 

また、自己破産については、ケースによっては「破産管財人」、個人再生でも「個人再生委員」が選任されることがありますが、破産管財人や個人再生委員の報酬相当額を事前に裁判所に納めるときには10万円から数十万円の費用が必要とされ、任意整理の費用を払ってしまった結果、この調達に難儀するケースもあります。

 

③解決までの期間が長くなる

 

任意整理を依頼してから実際に返済が始まるまでの期間は債権者の数などによってまちまちですが、任意整理に基づいて返済を再開したものの結局支払いできなくなったケースでは、その時から改めて自己破産などの準備を行うことになりますので、最終的な解決に至るまでの期間が長期化します。 

 

任意整理を考えたときに検討してほしいこと

 

任意整理はうまく活用できれば債務者の生活再建に役立つ一方、客観的には完済できる見通しがないのに無理やりチャレンジして失敗してしまうケースが見られます。

 

そのため、万が一、任意整理に失敗してしまった場合、最終的にどうやってその借金問題を解決するかを考えておくことも大事なことです。

 

そこで、これから弁護士などに任意整理を依頼することをお考えの方は、たとえば以下のような点について、あらかじめ検討したり確認しておくことをお勧めします。

 

①任意整理による返済見込額が自分の返済能力を超えていないか(最重要)

 

一応の目安としては、今抱えている債務を原則3年程度(最長でも5年程度)の分割で払いきれるかどうか、より具体的には、住居費を差し引いた手取り収入の3分の1程度の金額を原則3年間支払うことで完済できるかどうかですが、そのような目安やその他の事情を加味して支払いきれなさそうであれば、任意整理ではなくその他の方法が視野に入ってきます

 

たとえば、月に手取り30万円の収入を得て住居費として6万円を払っている方であれば、毎月の返済額の目安は概ね8万円(=(30万円-6万円)÷3)ですが、それを前提に原則3年間で払いきれる金額を計算すると288万円(=8万円×36回)になりますので、このような計算が一つの目安になるかと思います(ただし、実際には今後の減収や支出増加の可能性、親族からの援助の可否、債権者数や任意整理に対する業者の対応状況なども考慮したうえで本当に任意整理が可能な事案かどうかを個別に判断していくことが必要です)。

 

なお、支払原資の計算には家計収支表を利用し、月にいくらであれば無理なく支払いに回せるか計算すると良いと思いますが、家計収支表は自己破産などで使用するものがネット上で手に入りますので、それを参考にするのが簡単でお勧めです(なお、どうしてもイレギュラーな支出が発生しますので、ギリギリではなく「無理なく」というところが非常に大事です)。 

 

②失敗したときに、依頼先がそのまま自己破産などの手続も引き受けてもらえるか

 

遠方の事務所に任意整理を依頼したとき、任意整理は受任するが自己破産や個人再生などは受けられないと言われることもあるようです。

 

任意整理は長期間の分割払いを内容とするものであるため不測の事態に備えておくことも重要ですので、後日、方針が自己破産などに変更になった場合でもそのまま引き受けてもらえるかどうかを確認しておくことをお勧めします。

 

③依頼の費用が妥当か

 

ご相談を受けていると、依頼先に対して支払う金額が高く途中で支払いきれず辞任されてしまうケースがありますので、依頼費用が高額過ぎないかどうかも検討しておくべきポイントです。

 

依頼するときは焦りから契約を急いでしまいがちですが、依頼費用が高額すぎるかもしれないとか費用の全体像がいまいち理解できないと感じたときは、すぐに依頼するのではなく、他の事務所に聞いてみたり、自治体で実施している多重債務相談会などを利用してみることも有用です。

 

 

冒頭でも述べたとおり、他の事務所に任意整理を依頼したものの、途中で支払いきれなくなって自己破産や個人再生のご依頼を受けるというケースが増えているように感じます。

 

任意整理が失敗に終わる原因は様々ですが、はじめから無理な任意整理をしたことによって遠回りをしてしまうことのないよう、債務整理の方針は慎重にご検討いただきたいと思います。

 

弁護士 平本丈之亮

 

2022年12月5日 | カテゴリー : 債務整理一般 | 投稿者 : 川上・吉江法律事務所

次に不貞行為をしたら慰謝料を支払うという合意の有効性

 

 配偶者の不貞行為が発覚した場合に、将来の不貞行為を防止する目的で、今後不貞行為に及んだ場合には慰謝料として一定額を支払うと約束をする(させる)ことがありますが、今回はこのような合意の有効性についてお話ししたいと思います。

 

公序良俗との関係

 

 民法第132条は不法な条件を付した法律行為は無効と定めており、古くには不貞行為をしたことを慰謝料の支払条件することがこれにあたるのではないかと争われたケースもあります。

 

 しかし、浦和地裁昭和26年10月26日判決は、このような合意について、不貞行為に及んだことを慰謝料支払いの条件とすることはその条項に不法の性質を与えるものではなく、公序良俗その他強行法規に違反するものでもないとして有効としており、その後の裁判例でも、単に合意が有効かどうかという二者択一的なアプローチではなく、その合意の内容が著しく過大であり公序良俗に違反するかどうかという見地から、個々の事案に即してどこまでの範囲で有効といえるかが検討されているように思われます。

 

 たとえば、東京地裁平成17年11月17日判決は、不貞相手との間において今後不貞行為をしたときは5000万円を支払うと合意をしたケースについて、不貞行為の態様、資産状況、金銭感覚、その他本件の特殊事情を十分に考慮しても、なお相当と認められる金額を超える支払いを約した部分は民法90条によって無効であるとし、不貞相手である被告が自ら金額を提示したことや同人にかなりの資力があったこと、不貞行為を解消する旨を誓約しておきながらこれを破り原告の配偶者を家出させて同棲に及ぶなど違法性が強いといった事情から、1000万円の限度で合意の有効性を認めています。

 

 他方、近時の裁判例(東京地裁平成29年10月17日判決)では、内縁関係が10年程度継続した内縁の夫婦間において、その内縁期間中にパートナーの一方が不貞行為に及んだときは500万円を支払うと合意していたケースで、不貞行為の結果、内縁関係が破壊されたような場合であれば500万円という金額が過大であるとまでは認められず、一部について無効をきたすことはないとしてパートナーに対する請求を全額認めたものがあります。

 

どこまで有効かはケースバイケース

 

 以上のように、不貞行為に及んだことを支払条件とした慰謝料の合意の有効性については、悪質性の程度や、合意後の不貞行為によって夫婦関係がどの程度悪化したのか、不貞行為者の資産状況、といった各種事情から具体的に検討・判断される傾向にあるため、当初合意した金額がそのまま有効と判断されるとは限りません。

 

 また、仮にこのような合意をしたとしても、合意をする際に相手に対する脅迫等の行為があった場合には、金額の妥当性を問わず合意自体が全体として無効となる場合もありうるところです。

 

 脅迫によって無理やり合意をさせることは論外ですが、そのような不当な行為がなければ、東京地裁平成29年10月17日判決にみられたように500万円という比較的高額の合意が有効と判断されたケースもありますし(合意がない場合に裁判で500万円が認められるのは稀なケースではないかと思われます。)、将来の不貞行為の防止を主たる目的とするのであれば、有効性はともかく合意をしておくこと自体に意味がある場合もあると思われます。

 

 いずれにせよ、このような合意をするときはパートナーや不貞相手が合意を反故にした場合を想定して明確に取り決めをしておく必要があると思いますし、合意をする際の交渉のやり方や金額の面で社会的に相当な範囲にとどめておくことが合意後の紛争防止の観点からも望ましいと思われますので、合意を書面化する前には一度弁護士に相談なさることをお勧めします。

 

弁護士 平本丈之亮

 

2022年11月24日 | カテゴリー : 男女問題 | 投稿者 : 川上・吉江法律事務所

生命保険金が遺産総額を超えていたにもかかわらず特別受益に準じた持ち戻しが否定されたケース

 

 遺産分割や遺留分の計算において、特定の相続人が生命保険の受取人になっている場合、その生命保険金を特別受益に準じて持ち戻して(遺産に合算して)計算するべきかが問題となることがあります。

 

 生命保険金は遺産ではないため原則として持ち戻しはしませんが、例外的に、受取人である相続人その他の共同相続人との間に生ずる不公平が、特別受益について定める民法903条の趣旨に照らして到底是認することができないほどに著しいものと評価すべき特段の事情が存する場合には、死亡保険金も特別受益に準じて持戻しの対象となります(最高裁平成16年10月29日決定)。

 

特段の事情の判断要素

 

 生命保険金を特別受益に準じて持ち戻すかどうか(特段の事情の有無)は、①保険金の額、②保険金額の遺産総額に対する比率、③それぞれの相続人や被相続人との関係(同居の有無、被相続人の介護等に対する貢献の度合いなど)、④各相続人の生活実態、といった点に着目してケースバイケースで判断されますが、実務的には生命保険金と遺産総額を比べた場合の比率が重視される傾向にあり、過去の裁判例でもまずはこの点から持ち戻しの可否を検討しています(後記関連コラム参照)。

 

 しかし、生命保険金と遺産総額の比率も絶対的な基準ではなく、最終的に特別受益に準じて持ち戻しをするかどうかはあくまで相続人や被相続人との関係性や生活実態なども考慮して判断されますので、今回ご紹介する裁判例のように遺産と比較して生命保険金の比率が高かったとしても持ち戻しが否定されることがあります。

 

広島高裁令和4年2月25日決定

【当事者の属性など】

 

<抗告人>

・生命保険金を持ち戻すべきと主張

・被相続人の母

・被相続人とは長年別居し,生計を別にしていた

 

<相手方>

・生命保険金の受取人

・被相続人の妻

・婚姻期間約20年

・婚姻前を含めた同居期間約30年

・一貫して専業主婦で被相続人の収入以外に収入を得る手段がなかった

・現在は2ヶ月ごとに19万円の遺族年金を受給している

 

【死亡保険金と遺産総額】

 

<死亡保険金>

合計2100万円(妻が取得)

 

<相続開始時の遺産評価額>

772万3699円(2.7倍)

 

<遺産分割の対象財産の評価額>

459万0665円(4.6倍)

・・・抗告人は目減り分を相手方が不当利得したと主張

 

【裁判所の判断】

 

・死亡保険金の合計額は2100万円であり、被相続人の相続開始時の遺産の評価額(772万3699円)の約2.7倍、本件遺産分割の対象財産の評価額(459万0665円)の約4.6倍に達している。

・・・生命保険金の遺産総額に対する割合は非常に大きいといわざるを得ない。

 

・公益財団法人生命保険文化センターの生活保障に関する調査(平成28年度速報版)によると、男性加入者が病気によって死亡した際に民間生命保険により支払われる生命保険金額の平均は、平成3年で2647万円、平成28年で1850万円である。

・・・本件死亡保険金の額は一般的な夫婦における夫を被保険者とする生命保険金の額と比較してさほど高額なものとはいえない。

 

・被相続人と相手方は、婚姻期間約20年、婚姻前を含めた同居期間約30年の夫婦であり、その間、妻は一貫して専業主婦で、子がなく、被相続人の収入以外に収入を得る手段を得ていなかった。

 

・2口の保険のうち、死亡保険金の大部分を占める保険について、被相続人は婚姻を機に死亡保険金の受取人を相手方に変更するとともに死亡保険金の金額を減額変更し、被相続人の手取り月額20万円ないし40万円の給与収入から保険料として過大でない額(2口合計で約1万4000円)を毎月払い込んでいった。

・・・本件死亡保険金は被相続人の死後、妻の生活を保障する趣旨のものであったと認められる。

 

・相手方は現在54歳の借家住まいであり、本件死亡保険金により生活を保障すべき期間が相当長期間にわたることが見込まれる。

 

・これに対し、抗告人は、被相続人と長年別居し、生計を別にする母親であり、被相続人の父(抗告人の夫)の遺産であった不動産に長女及び二女と共に暮らしている。

 

→上記事実からすると、本件において生命保険金は特別受益に準じた持ち戻しの対象にはならないと判断。

 

<遺産減少分=不当利得との主張>

・差額分は被相続人の死亡後に被相続人のために必要な費用を支出したと認められ、差額分も当該費用として支払われたことがうかがわれる。

 

・仮に相手方が上記差額から必要な費用を支出した残額を一定程度自己の元に留めていたとしても、そのうち抗告人との関係で不当利得が成立する部分は本件遺産分割手続外で抗告人に返還されるべきものである。

 

・また、不当利得の成立しない部分については相手方が利益を得るものと考慮しても、これをもって特別受益に関する判断を左右する事情になるとまで評価することは困難である。

 

<遺族年金を考慮すべきとの主張>

・被相続人との同居を開始後、死亡するまでの間、妻が一貫して専業主婦であり、その年齢も考慮すると、2か月ごとに19万円の遺族年金を受給していることを考慮しても現時点で十分に生活するだけの資力、能力等を有しているとは認められない。

 

 この裁判例のケースでは、生命保険金が遺産の評価額を超えていることから遺産総額に対する割合は非常に大きいと判断されており、その点を重視すれば持ち戻しがなされてもおかしくはなかったように思います。

 

 しかし、このケースで裁判所は、受取人が妻であったことや、抗告人である被相続人の母が被相続人とは長年別居していたなどの関係性、双方の生活状況の比較、被相続人が保険契約を残した趣旨、保険金額が一般的な水準であることなど他の事情も考慮して持ち戻しを否定しています。

 

 上記裁判例からも分かるとおり生命保険金の持ち戻しに関する判断はまさにケースバイケースであり、相続人間で問題になったときは当事者間の協議だけで解決できない場合も多いと思いますので、この点が問題となったときは弁護士への相談をお勧めします。

 

弁護士 平本丈之亮

 

2022年11月23日 | カテゴリー : コラム, 相続 | 投稿者 : 川上・吉江法律事務所

婚姻費用・養育費の計算において、年金はどう扱われるか?

 

 別居や離婚に伴って婚姻費用や養育費の取り決めをする際、当事者の一方が年金を受給していることがあります。

 

 婚姻費用や養育費を請求する際にはいわゆる標準算定方式による簡易算定表が広く用いられていますが、この簡易算定表では給与所得者や自営業者に関する表しかないため、年金受給者がいる場合に収入をどう考えるべきかというのが今回のテーマです。

 

年金を給与へ換算する

 

 先ほど述べたとおり、簡易算定表では給与所得者と自営業者を前提とした表しかありませんが、年金収入については給与所得者における職業費が生じないため、年金を給与収入に換算する方式がとられます(年金と給与があるときは換算後の年金と給与を合算します)。

 

換算方法

 

 具体的な換算方法は、給与所得者の職業費の統計値が算定表改訂後では概ね15%であることから、年金額を85%で割り戻して(=年金額÷0.85)、年金を給与に換算する方法がとられることがあります(東京高裁令和4年3月17日決定など。なお、これ以外にも、基礎収入の割合を修正して換算する方法もあります)。

 

 したがって、たとえば年金として年間100万円を受給しているのであれば、受給者の年金を【100万円÷0.85=1,176,470円】として、これを前提に算定表に当てはめていくことになります。

 

障害年金は?

 

 なお、年金の中には、国民年金等以外にも障がい者に対して支給される障害基礎年金・障害厚生年金がありますが、これらは受給者の自立等のために支給されるものであるとして婚姻費用等の計算において除外すべきという考え方もあります。

 

 しかし、障害基礎年金が子どもがいる場合に加算される場合があること(国民年金法33条の2)や、障害厚生年金についても65歳未満の配偶者がいる場合に加算されること(厚生年金法50条の2)からすると、制度上、本人以外の家族の生活費としても使用されることが想定されているといえることなどから、婚姻費用等の計算においても収入に含めて計算する考え方の方が有力と思われます。

 

 この点については、実際の裁判例でも障害年金について収入として取り扱い、年金額を0.85で割り戻して婚姻費用を算定した例があります(さいたま家裁越谷支部令和3年10月21日審判)。

 

 ただし、障害年金については、国民年金等の場合とは異なり、受給者の医療費などの特別経費があることを別途考慮する必要があることに注意が必要です。

 

 たとえば、上記裁判例では、障害年金を給与に換算して婚姻費用を計算すると概ね14万円程度になったものの、障害年金を受給している義務者には年間6万円程度の医療費がかかることなどを考慮して最終的な分担額を13万円に軽減しており、そのほかにも、福岡高裁平成29年7月12日決定においては、権利者側の収入に障害年金が含まれていることを考慮して、換算後の収入をもとに計算した婚姻費用から若干の上乗せを行っています。

 

 

関連裁判例
東京高裁令和4年3月17日決定

「抗告人の年金収入は年額A円に相当するところ、年金収入については給与収入と異なり職業費の支出を考慮する必要がないため、近時の統計資料に基づく総収入に占める職業費の割合(おおむね18~13%であり、高額所得者の方が割合が小さい。本件報告書参照)のうち15%を採用して給与収入に換算すると、おおむね年額B円(A÷(1-0.15)=・・・)となる。」

 

※老齢基礎年金の事例

※本件報告書:養育費,婚姻費用の算定に関する実証的研究(司法研究報告書第70輯第2号)

さいたま家裁越谷支部令和3年10月21日審判

「障害者年金は、前記認定事実記載のとおり子らのための相当額の加算もあり、受給する申立人及び子らの生活保障の一部といえるから、申立人の収入と評価するのが相当である。ただし、障害者年金は職業費を要しない収入であり、標準算定方式の前提となった統計数値により、全収入における職業費の平均値である15%で割り戻すのが相当である。」

 

「標準算定方式における算定表[(表16)婚姻費用・子3人表(第1子、第2子及び第3子0~14歳)]に当てはめると、12万円ないし14万円の上限程度と算定される。前記認定事実によれば、申立人が、障害者年金受給の前提となった病状についての治療費を、障害者年金額からではなく生活保護における医療扶助によっているのに対し、相手方は、障害者年金受給の前提となった症状の治療のために年間6万円の通院治療費を要していることなどに鑑み、相手方が負担すべき額は月額13万円とする。」

 

※抗告審の東京高裁令和4年2月4日決定も原審の判断を維持。

福岡高裁平成29年7月12日決定

「相手方世帯に割り振られる婚姻費用は、・・・106万2017円(月額8万8501円)となる。ただし、相手方の収入の一部が障害基礎年金であり、医療費等の特別経費を通常よりも多くみる必要がある点を考慮すると、婚姻費用月額は、少なくとも9万円を下回ることはないというべきである。」

 

※申立人(義務者)が、障害年金を受給している相手方(権利者)に対して婚姻費用の減額を申し立てたところ、標準算定方式による相当な婚姻費用は月8万8501円であるが、相手方には医療費等の特別経費があるため計算結果から若干の上乗せをした9万円を相当としたもの。

 

弁護士 平本丈之亮

 

同棲にあたり交際相手が退職するつもりであることを知りながら収入の見通し等につき虚偽説明をしたことが不法行為にあたるとされたケース

 

 男女交際が発展して共同生活(同棲)を始めるとき、当事者の一方に十分な収入がある場合には他の一方が仕事を辞めるということがあります。

 

 この場合、交際相手の一方が誠実な方であれば問題はありませんが、残念ながら不誠実な者がいることも事実であり、ひどいケースでは仕事や収入に関する当初の説明が誇張のレベルを超えて全くの虚偽であったということもあります。

 

 では、相手が仕事や収入について嘘の説明をし、それを信じて仕事を辞めて同棲するに至った者は、虚偽説明をした交際相手に対して何かしらの請求ができるのでしょうか?

 

不法行為として損害賠償請求ができる場合がある

 

 このような場合、本人としては交際相手の仕事や収入に関する説明が事実であると信じて退職を決断したわけですから、その説明が全くの虚偽だった場合、相手の虚偽説明によって収入の喪失や精神的苦痛といった損害を受けることになります。

 

 そのため、同棲を開始するにあたり、本人が仕事をやめる意向であることを知りながら、交際相手が自分の仕事の状況や収入の見通しについて全くの虚偽説明をした場合、損害賠償の請求ができるとした裁判例があります(東京地裁令和元年10月23日判決)。

 

東京地裁令和元年10月23日判決

【事案の概要】

婚活サイトで知り合い交際を始めた男女について、男性(被告)が女性(原告)に対して人並みの貯金と十分養っていける給与はもらっているので仕事を辞めて体一つでいてほしい、生活費については支払うから退職して無給になっても問題ないなどと述べ、これを信じた女性が将来の結婚を見据えて同居を開始して職場も退職したところ、実際には被告は病気休職中で就業のめども立っていないかった(そのほか、そもそも被告は原告に独身であると述べていたが、交際開始時点では既婚者であり、その後の同棲中に離婚が成立していたこと判明した)。

 

【裁判所の判断】

「婚姻を前提とする交際を行うに当たって,既婚者であることはそれだけで法的な婚姻障害に該当する重要な事情である以上,これについて虚偽の説明をした上で,交際を開始することは,不法行為を構成するものというべきである。また,共同生活を開始するにあたり,相手が仕事を辞める意向であることを知りながら,自らの仕事の状況や今後の収入の見通しについて,誇張の程度を超え,全くの虚偽の説明を行うことは,相手の将来にわたる継続的な収入の方策を絶つことになり,その将来に重大な影響を与えることに鑑みると,不法行為に該当するものといえる。」

 

→被告が前妻との離婚が成立していないにもかかわらず独身であると説明して交際を開始するとともに、病気休職中で就業のめどが立っていないにもかかわらず人並みの貯金と十分に養っていける給与はもらっていると説明し原告に離職を促したことは不法行為を構成するとして、慰謝料80万円の支払いを命じた(なお、原告は慰謝料以外にも同居中の生活費の請求も行ったが、この点は内縁関係の解消に伴う扶養に類する問題であって直ちに被告の不法行為と相当因果関係のある財産的損害とはいえないとし、慰謝料額の範囲でのみ考慮するとして直接の請求は否定)。

 

 上記裁判例では、①婚姻を前提とした交際を開始するにあたって既婚者であることを隠したこと、②共同生活を開始するにあたり相手が仕事を辞める意向であることを知りながら仕事の状況や今後の収入の見通しについて全くの虚偽の説明を行うこと、のいずれもが不法行為にあたると判断していますが、①については婚姻を前提とした交際を開始するにあたり、とする一方で、②については単に共同生活を開始するにあたり、としており、②のような行いが不法行為に該当するためにはその同棲が結婚を前提としたものである必要はないと考えているようにも読めるところです。

 

 どちらの解釈が正当かは何とも言えませんが、結婚を前提としていたかどうかにかかわらず、一旦退職してしまえばキャリアや収入など本人の将来に影響が生じることは避けられないと思われますから、個人的にはそのような条件は不要であり、結婚を前提としていたかどうかは慰謝料額を決める歳の考慮要素の一つに位置づけるのが妥当ではないかと思います(私見)。

 

 いずにせよ、このようなトラブルは相手の不誠実さに起因したものであるため虚偽が発覚した後も誠実な対応がなされないことが当然に想定されますので、この種のトラブルが発生したときは一度弁護士に相談して対応を検討することをお勧めします。

 

弁護士 平本丈之亮

 

 

 

2022年9月6日 | カテゴリー : 男女問題 | 投稿者 : 川上・吉江法律事務所

別居中に生活用品の引き渡しを求めることは可能か?

 

 離婚する場合、同居しながら離婚について協議できる場合だけではなく、別居した上で条件面について協議や調停などを行うことが一般的に行われます。

 

 この場合、事前に良く話し合いをした上で別居できれば別居後の生活に支障が生じることはありませんが、実際には様々な事情から着の身着のままで別居に踏み切らざるを得ないこともあり、そうすると衣類や生活用品が足りず、当面の生活に支障を生じることもあります。

 

 別居時に自宅においてきた生活用品の中には、夫婦の協力により取得したといえるもの(=夫婦共有財産)と、結婚前に購入したり贈与で取得した物あるいは婚姻期間中に所得したものではあるが衣類や安価な装飾品など社会通念上夫婦の一方が所有するべきと考えられる専用財産(=特有財産)がありますが、別居中にこのような生活用品がどうしても必要になった場合、一方の配偶者は他方の配偶者に対して生活用品の引き渡しを求めることができるでしょうか?

 

特有財産の場合

 

 相手が占有している生活用品が特有財産である場合、特有財産は財産分与の対象にはなりません。

 

 そのため問題となる生活用品が特有財産であることを証明できるのであれば、所有権に基づいて相手に対して引き渡しの請求ができる可能性があります。

 

 

夫婦共有財産の場合

 

 これに対して夫婦共有財産については、本来、その帰属は離婚時の財産分与の問題の中で取り扱われるべきものです。

 

 そして、夫婦共有財産については、今回のようなケースとは異なりますが、夫婦の一方が別居時に持ち出した共有財産について財産分与とは別に裁判で直接返還を求めることができるかどうかが争われたケースにおいて、当事者間で協議がされるなど具体的な権利内容が形成されない限り相手方に主張することのできる具体的な権利を有しているものではないとして返還請求を否定した裁判例が存在するため(東京地裁平成27年12月25日判決など)、このような裁判例の存在を前提とすると生活用品が夫婦共有財産にあたる場合には引き渡しは認められないようにも思えます。

 

 もっとも、このような裁判例とは別のものとして、別居中の夫婦であっても夫婦である以上は原則として互いに協力扶助の義務を負うことから(民法752条)、別居中の夫婦の一方が他方に対して生活上必要な衣類や日用品等の物件の引渡を求めたときは、求められた側は自己の生活に必要でない限りこれに応じる義務を負うとした裁判例も存在しています(大阪高裁平成元年11月30日決定)。

 

 この裁判例は、問題となる物件が特有財産か夫婦共有財産かという観点ではなく、それが相手にとって生活上必要なものであり、他方で自分にとっては必要でないときは民法752条により引渡義務が認められると判断していますので、対象物件が夫婦共有財産にあたる場合でもこのような条件を満たすときには引き渡しが認められる可能性があるということになります(ちなみに決定によると自己所有物件が含まれているときでも民法752条を根拠に引き渡しを認めることができるように読めるため、特有財産については所有権に基づく引渡請求のほか、民法752条に基づく引渡請求も認められる可能性があるように思われます(私見))。

 

大阪高裁平成元年11月30日決定

「別居中の夫婦であっても、また既に離婚訴訟が裁判所に係属していても、夫婦である限り原則として右規定(注)にいう協力扶助の義務を免れることはできず、その一方は他の一方に対し事情に応じた協力扶助を求めることができるものと解するのが相当であるから、その一態様として、別居中の夫婦の一方が他の一方に対し生活上必要な衣類や日用品等の物件の引渡を求めた場合には、他の一方は自己の生活に必要でない限り、これに応じる義務を負うものといわなくてはならない。また、別居中の夫婦の一方が他の一方に対して引渡を求める物件の中に自己の所有物件が含まれている場合、これについては民事訴訟法上の仮処分によってその引渡を求めることができるとしても、そのために右仮処分とは趣旨・目的を異にする家事審判法による審判前の保全処分が許されないものとする理由はない。」
 
注 民法752条

 

 以上述べたとおり、生活用品が特有財産であれ夫婦共有財産であれ引き渡しが認められる可能性はあると思われますが、生活用品の引き渡しについて、これを離婚の協議や調停などとは別の手続で求めるのが果たしてベストな選択といえるかどうかについては良く考えるべきです。

 

 そもそも離婚問題は双方が高葛藤の状態にあることが多く話し合いによる解決が元々難しいケースがあるところ、協議すべき本体部分とは別に動産の引き渡しについて裁判等で求めると離婚本体について話し合いベースでの解決が不可能になり、裁判にまで発展してしまうこともあり得るためです。

 

 このように、協議や調停などの話し合いの中で任意の引き渡しを求めるにとどめておくべきか、それとも裁判などを起こすべきかについては、①離婚本体について話し合いによる解決をどの程度希望しているか、②解決までに要する期間としてどの程度までであれば許容できるか、③問題となっている生活用品の重要性や価値、④別途裁判などを起こす場合にかかる金銭的コストの程度、などをもとにして慎重に検討する必要がありますので、この点が問題となったときは弁護士への相談を推奨します。

 

弁護士 平本丈之亮

 

 

 

2022年9月2日 | カテゴリー : 離婚, 離婚一般 | 投稿者 : 川上・吉江法律事務所

夫婦関係が円満な間に過当に負担した婚姻費用は財産分与で考慮されるか?

 

 離婚協議等において財産分与が問題となるとき、財産分与をする側の配偶者から、夫婦関係がうまくいっていた期間に生活費を多く払い過ぎていたとして、過去に払いすぎた分を財産分与から差し引くべきだと主張するケースがあります。

 

 婚姻費用は夫婦双方の資産、収入その他一切の事情を考慮して分担するものとされていますが(民法760条)、実務上採用されている標準算定方式に基づき作成された「簡易算定表」に基づいて計算するとおおよその標準額が算出できるため、一見するとこのような差額清算にも合理性があるようにも思えます。

 

 しかし、夫婦関係が円満な間、夫婦はお互いに妥当な婚姻費用がいくらなのか、あるいは払いすぎの部分を後で清算しようなどということは意識していないことが一般的であり、生活費の負担方法や額について夫婦が了解した上で共同生活を営んでいたにもかかわらず、婚姻関係が壊れてからこのような過去の分の差額清算を認めることは相手方にとって酷な場合もあります。

 

 そこで今回は、果たしてこのような主張は認められるのかについてお話しします。

 

夫婦円満な間における生活費は原則として贈与

 

 この点については、このような円満期間中における婚姻費用は配偶者の一方から他方に対する贈与の趣旨であると考えて超過分の清算は不要とする見解があり、過去の裁判例においても原則として贈与とみるべきと判断したものがあります(高松高裁平成9年3月27日判決)。

 

高松高裁平成9年3月27日判決

「離婚訴訟において裁判所が財産分与を命ずるに当たっては、夫婦の一方が婚姻継続中に過当に負担した婚姻費用の清算のための給付をも含めて財産分与の額及び方法を定めることができると解するのが相当である(最高裁昭和五三年(オ)第七〇六号、同年一一月一四日第三小法廷判決・民集三二巻八号一五二九頁参照)。しかしながら、夫婦関係が円満に推移している間に夫婦の一方が過当に負担する婚姻費用は、その清算を要する旨の夫婦間の明示又は黙示の合意等の特段の事情のない限り、その過分な費用負担はいわば贈与の趣旨でなされ、その清算を要しないものと認めるのが相当である。」

 

 過去の婚姻費用を財産分与においてどのように考慮するべきかに関しては、別居以降の未払い分を考慮(加算)することは認められています。

 

 他方で、別居中にいわゆる標準算定方式で計算した金額を超える額を負担していたケースでは、原則として差額清算(控除)を否定した高裁レベルでの裁判例があり(大阪高裁平成21年9月4日決定)、円満期間中の超過負担部分についても上記のとおり原則として考慮(控除)されないとの高裁裁判例があることからすると、別居の前後を問わず、婚姻費用の超過払い分を財産分与で考慮すべきという主張が採用される可能性は高いとはいえないように思われます。

 

弁護士 平本丈之亮

 

 

懲戒解雇相当などの退職金不支給事由があるものの、退職金の一部支給が認められた3つのケース

 

 職場を懲戒解雇された場合、労働者は職を失うという重大な不利益を受けることになりますが、そのほかにも、就業規則上、懲戒解雇に相当する事情の存在が退職金の不支給事由として規定されていることが一般的であり、それに基づき退職金が支給されないということがあります。

 

不支給事由あり≠退職金不支給

 

 もっとも、今日において退職金は単なる会社からの恩典ではなく、労働の対価(賃金)の後払いとしての性質を有するというのが一般的な考え方であり、退職金の不支給事由が存在することのみによって過去の労働の対価を一切失わせることは労働者にとって酷な場合もあります。

 

 そのため裁判例においては、退職金を不支給とするには不支給事由が就業規則等に定められていることは当然の前提として、そのような不支給事由が存在するだけでは足りず、その労働者にそれまでの勤続の功を抹消又は減殺するほどの著しい背信行為があったことが必要であると考えられており、また、仮に背信行為があったとしても全額を不支給とするのではなく、退職金の何割かの支払いを命じるケースが存在します。

 

 そこで今回は、懲戒解雇や退職金の不支給を検討している事業者、あるいは懲戒解雇やそれに相当する事情を理由として退職金を不支給とされた労働者の方向けの参考として、懲戒解雇に相当する事情があったにもかかわらず、退職金の支給が一部認められた最近の裁判例を3つほどご紹介したいと思います。

 

一部支給を認めた裁判例

 

東京地裁令和3年6月2日判決

【非違行為の内容】

・自らが懇意にする外国人女性ホステスの就労ビザ更新のため、職務を利用して取引先に在職証明書の偽造を依頼して作成させた(処分事由①)。

 

・職務を利用して取引先に9回にわたりクラブへの同行を要望し費用を取引先に支払わせるなどした(処分事由②)。

 

【裁判所の判断】

・処分事由①は会社の社会的評価を毀損しかねないものであって情状は悪い。

 

・原告には処分事由②も認められ、被告の業務内容(不動産の賃貸借及び売買、交換のあっせん等を目的とする株式会社)及び被告における原告の地位(施設管理の責任者として、建物管理、原状回復工事及び修繕工事の新規発注先を設定するために必要な申請を行ったり、既存の発注先から新規発注先に業務の発注を変更したりする権限を有していた。)等に照らすと、労働者のそれまでの勤続の功を一定程度減殺する悪質性があることは否定できない。

 

・他方、処分事由①にかかる行為について、作成された内容虚偽の在留資格証明書は実際に提出されることはなかった。

 

・処分事由②は半年間にわたり約55万円の飲食費の饗応を受けたという内容であり、その期間は比較的短期間であり、その金額が非常に高額のものであるとまではいえない。

 

→労働者のそれまでの勤続の功を全て抹消するほどの著しい背信行為があったとまではいうことはできないとして、退職金不支給条項は退職金の5割を超えて不支給とする点で一部無効であると判断し、5割の支給を認めた。

高松地裁丸亀支部令和2年10月19日判決

【非違行為の内容】

郵便局職員が、約3年間、取集郵便物に貼付された未消印切手(1万8619円分)を窃取していた。

 

【裁判所の判断】

・懲戒解雇理由とされた切手窃取行為は被告の企業秩序の維持の観点からみて重大な非違行為であり、その態様も悪質であって、原告の勤続の功労を大きく減殺するものといわざるを得ない。

 

・一方で窃取切手の金額(1万8619円)は比較的少額であり、本件懲戒解雇の後ではあるものの原告はこれと延滞金を被告に弁償している。

 

・原告は長年被告又は被告が使用者の地位を承継した法人等において勤務してきており、本件退職手当には賃金の後払いや退職後の生活保障としての性質もある。

 

・本件懲戒解雇に至るまで原告が被告から懲戒処分を受けたことはない。

 

→上記事情を考慮すると、原告の行為をもってそれまでの勤続の功を全て抹消するほどの著しい背信行為とはいい難いというべきであるとして不支給規定の適用を限定的に行い、仮に懲戒解雇がなければそのわずか6日後に原告が定年退職をすることは確実であったと考えられること等の一切の事情を総合的に考慮し、原告が定年退職をしたと仮定した場合の退職金の額の3割の支給を認めた。

東京地裁平成29年10月23日判決

【非違行為の内容】

事故前日に断続的に飲酒をし、就寝の際、医師から飲酒時の服用を禁止されていた精神安定剤等を服用したため、当日の朝ふらつき感を覚え、発熱まであり欠勤するに至ったにもかかわらず更に飲酒を続け、高濃度のアルコールを身体に保有する状態で自動車を運転した結果、運転を誤って営業中のスーパーマーケットの玄関付近に自車を衝突させ、店舗に修理費162万円を要するほどの損傷を与えるなどした。

 

【裁判所の判断】

・被告(鉄道利用運送事業、貨物自動車運送事業、海上運送事業、利用航空運送事業等を営む会社)が企業としての社会的責任を果たし、名誉、信用ないし社会的評価を維持するため飲酒運転について厳罰をもって臨み、原則として解雇事由としていることは必要的かつ合目的的であるといえる。

 

・本件酒気帯び運転はその態様が悪質でありその行為に至る経緯に酌量の余地はなく、結果も重大である。

 

・原告は現行犯逮捕され、実名で新聞報道がされるなどしており、その社会的影響も軽視することはできない。

 

・他方、懲戒解雇処分における解雇事由は、私生活上の非行に係るものである。

 

・原告は本件酒気帯び運転まで26年以上の長期にわたり懲戒処分等を受けることなく真面目に勤務してきた。

 

・本件酒気帯び運転や本件事故について素直に認め本件店舗に直接謝罪をするとともに、自ら加入していた自動車保険を利用して被害弁償をして示談し宥恕されている。

 

・被告に対しても謝罪し自ら退職願を提出している。

 

・原告が被告の従業員であったことまでは報道されておらず、被告の名誉、信用ないし社会的評価の低下は間接的なものにとどまる。

 

・これらの事情に加えて、被告は原告の持病の治療や父親の看護等を慮って懲戒委員会の開催を遅らせるとともに、処分決定までの間、原告を無給の休職とすることなく、自宅待機を命じ基準内賃金等を支払っていた。

 

→上記事情を総合すると、本件酒気帯び運転が原告のそれまでの勤続の功労を全て抹消するものとは認め難いものの大幅に減殺するものといえ、その減殺の程度は5割と認めるのが相当として、自己都合退職した場合の退職金額の5割の支給を認めた。

 

参考(否定例)

 

 以上の3つは退職金の支給を認めた裁判例ですが、最後に参考として、退職金の支給を否定した裁判例についても一つご紹介したいと思います。

 

大阪地裁令和元年10月29日判決

【非違行為の内容】

約1年半の間、当時の就業場所(郵便局)において10回にわたり1000円切手合計780枚、78万円分を横領した(原告は当時資産管理業務の補助社員として切手、はがき、収入印紙等の在庫管理等を行っていた)。

 

【裁判所の判断】

・本件横領行為は、正に原告が当時従事していた被告の中心業務の1つの根幹に関わる最もあってはならない不正かつ犯罪行為であり、出来心の範ちゅうを明らかに超えた被告に対する直接かつ強度の背信行為であって極めて強い非難に値する。

 

・被害額も多額に上る。

 

・その後の隠ぺいの態様も悪質性が高い(切手点検に同席し点検用紙にあたかも在庫数が符合しているかのようにチェックを入れたり、原告自ら在庫数を査数して在庫数が符合しているかのようにチェックを入れる、あるいは不足分を水増しした枚数を点検者に口頭報告していた)。

 

・動機に酌むべき点も見当たらない(金券ショップに持ち込んで換金し競馬や風俗店での遊興費にあてていた)。

 

→退職手当は賃金の後払い的な性質をも併せ持つこと、被害は回復されていること、原告は約24年8か月余りの間、本件横領行為及び過去の注意処分のほかは大過なく職務を務めていたこと,本件横領行為を行った郵便局在勤中にお歳暮の販売額に関するランキングで5位以上であったこと、被告による事情聴取に応じて最終的には非を認めて始末書や手記を提出し、本件横領行為の態様、隠ぺい工作、動機等についても明らかにしていることを十分に考慮したとしても、原告による本件横領行為は原告の従前の勤続の功を抹消するほど著しい背信行為といわざるを得ないとして請求を棄却。

 

不支給となるかは総合判断

 

 以上のように、退職金不支給事由に該当する事情があっても、裁判所はそれだけでは不支給を正当化せず、非違行為の悪質性、非違行為と職務との関連性(私生活上の行状にとどまるものか職務に関連するものかどうか)、勤務先の事業内容、動機、非違行為が勤務先に与えた損害の有無・程度、非違行為が社会に与えた影響の有無・程度、本人の過去の懲戒歴の有無や内容、退職までの残存期間、不支給事由発生後の状況(被害弁償や謝罪の有無など)、といった様々な事情を総合的に判断して不支給とすべきかどうか、あるいは一部の支給を認めるかどうかを検討しています。

 

 このように、退職金の不支給事由として懲戒解雇に相当する事情が規定され、これに該当しても退職金の支給が認められることはありますが、この点は様々な事情を総合的に検討して判断する必要がありますので、実際に不支給とされた場合にはご自分だけで判断するのではなく弁護士にご相談いただければと思います。

 

 他方、企業側としても、不支給としたことで裁判になり、弁護士への委任費用など本来不必要なコストを負担せざるを得ないことがありますので、果たして不支給とすべきか、それとも一部のみでも支給すべきかどうかについては事前に弁護士にご相談なさることをお勧めします。

 

弁護士 平本丈之亮

 

不貞行為を隠されて離婚してしまった場合、その後に改めて慰謝料の請求ができるか?

 

 配偶者が不貞行為に及んだときは離婚の際に慰謝料の支払いを伴うことが多く見られますが、離婚協議の際、一方配偶者が不貞の事実を隠したまま慰謝料の支払いを免れようとするケースがあります。

 

 では、離婚の時点では不貞行為があったことを隠されたため分からなかったが、その後に不貞行為が判明した場合、元配偶者に対して改めて慰謝料の請求ができるのでしょうか?

 

・離婚協議書を作成せず離婚した場合

 

 この場合は、通常、慰謝料を含む離婚給付について何も取り決めをしていないことが多いでしょうから、離婚後に不貞行為が発覚した場合には改めて慰謝料の請求が可能なケースが多いと思われます。

 

 

・離婚協議書を作成した場合

 

 離婚協議書を作成して離婚する場合には、作成した離婚協議書の中で「清算条項」(今後、理由の如何を問わず互いに何らの請求をしないといった文言)を記載しているケースが多く存在することから、このような清算条項があった場合、それでも改めて慰謝料の請求をすることが可能かが問題となります。

 

 この点については、このような清算条項は錯誤によって無効(民法改正前の事案であるため「無効」ですが、改正後のケースでは錯誤の効果は「取消」になります。)であるとして、以下のとおり慰謝料の請求を認めた裁判例も存在します(東京地裁平成28年6月21日判決)。

 

 ただし、離婚協議書を作る場合にもいろいろなパターンがありますから、たとえば弁護士に依頼して協議をまとめたような場合だと、相手の不貞行為の可能性も検討した上で清算条項を加えたのだから錯誤までは認められないと判断される可能性もあると思われます。

 

 

東京地裁平成28年6月21日判決

「幼子がいる夫婦の有責配偶者からの離婚請求は一般的には認められないこと、そのような離婚には慰謝料の支払を伴うことに照らすと、被告Aが被告Bとの継続した不貞関係や婚外子の妊娠の事実を隠して、清算条項を含む本件協議離婚書を原告Cに示し署名させたことは、被告Aが、慰謝料の支払いを免れて被告Bとの再婚を果たすためであったものと認められ、その清算条項は、原告Cの要素の錯誤により無効であるから、原告Cは、被告らに対し、不貞行為による慰謝料の請求ができるものとするのが相当である。

 

 

・協議書の作成は慎重に

 

 いったん清算条項を記載した協議書を作成してしまうと、たとえ後で錯誤により取消ができる可能性があるといっても、相手方が任意に支払いに応じることは期待できないことが多いと思います。

 

 今回ご紹介した判決のように運良く判明すれば後で慰謝料を請求できることもあるかとは思いますが、そもそも離婚後は相手の情報が手に入らなくなるため不貞行為の事実をつかむこと自体が難しくなりますので、怪しいと思ったときは焦って離婚に応じることなく、ある程度じっくりと時間をかけて協議することも大事です。

 

弁護士 平本丈之亮

 

2022年7月28日 | カテゴリー : 慰謝料, 離婚 | 投稿者 : 川上・吉江法律事務所