夫婦の一方が実質的夫婦共有財産から他方の債務を立て替えた場合、離婚後に裁判で返還を請求することはできるか?

 

 夫婦生活を営んでいると、夫婦のどちらかが相手のために支払いをするということは良くあることだと思いますが、その後に夫婦関係が破綻して離婚した場合、そのような結婚生活中の立替金を返してほしいという要望が出ることがあります。

 そこで今回は、この点について判断した裁判例をひとつご紹介したいと思います。

 

東京地裁令和2年7月9日判決

 この事案は、離婚した夫婦の一方が他方配偶者の負担する債務について特有財産から立替払いをしたとして、元配偶者にその分の返還を求めたというものですが、裁判所は以下のような一般論を示した上で、本件では立替金の原資が特有財産であると認められず(=夫婦共有財産が原資)、夫婦共有財産を原資とする立替金の清算は財産分与の問題として扱うべきものであるから返還請求することはできないとしました。

 

「夫婦の一方が婚姻期間中に実質的夫婦共有財産を原資として他方の債務を立て替えて支払った場合において、当該一方が離婚後に当該他方に対して民法702条1項の費用償還請求権又は不当利得返還請求権に基づいて立替金の返還を求めることは、当該離婚時における財産関係の清算のために法令に基づき当該他方に属する財産を当該一方へ給付することを求めるものであって、離婚に伴う財産分与として金員の支払を求めるものというほかない。」

 

 この裁判例がどこまで一般化できるものかは分かりませんが、個人的には、支払いの原資が夫婦共有財産だったとすると、その支払いがなく財産として残っていた場合には離婚の時点で財産分与の対象になることから、このようなものについては財産分与の問題として取り扱うのが妥当だと考えます。

 なお、この裁判例は、夫婦共有財産を原資として立て替え払いをした場合には財産分与の問題として扱うべきという判断をしたものですから、この裁判例を前提とすると、いわゆる特有財産を原資とした場合には、支払者は相手に対して直接返還請求ができるという結論になります。

 そのため、夫婦間の立替金を財産分与ではなく直接請求したいという場合には、請求者側において立替金の原資が特有財産であったことを積極的に主張立証していくことが必要になると思われます。

 

弁護士 平本丈之亮

2021年3月5日 | カテゴリー : 離婚一般 | 投稿者 : 川上・吉江法律事務所

婚姻費用の増額請求に対して相手が一部支払いをしていた場合、過去の差額分の請求が認められるのか問題となった事例

 

 婚姻費用について取り決めをした場合でも、その当時に想定していなかった事情の変更があった場合には、後日、増額の請求が可能なことがあります。 

 増額請求の手順については、まずは協議によって行うことが考えられますが、当事者間で折り合いがつかなかったり初めから話し合いができない事情があるときは、調停や審判といった裁判所の手続を経ることになります。

 そして、どの時点から増額の効果が生じるのかという点については、実務的には請求の意思が明確になった時点(調停申立時や内容証明郵便等で請求したとき)からと判断されることが多いように思われ、相手がまったく増額に応じなかったというシンプルなケースであれば、請求の意思が明確になった時点に遡って増額分(差額分)の支払いをまとめて認めてもらえる可能性があります。

 

 では、権利者が婚姻費用の増額を請求したところ、相手方がまったく応じないのではなく一部のみを支払って場合、過去の不足分については増額請求時に遡って支払いを命じてもらえるのでしょうか?

 今回は、この点について判断した裁判例をひとつご紹介します。

 

東京高裁令和2年10月2日決定

 上記裁判例では、以下のような事情から、そのケースでは過去の差額分の請求を婚姻費用としては認めず、過去の分は財産分与の場面で考慮すべき問題であると判断しました。

 

「相手方は、・・・婚姻費用分担金の増額を請求していた・・・確かに請求の事実は認められるものの、抗告人はこれに対して請求全額ではないものの一部を支払い、これに対して相手方が不足分の請求を直ちにしていることを認めるに足りる資料がないことを考慮すれば、不足分の清算の要否は手続の迅速性が要請される婚姻費用分担審判や扶養料の審判においてではなく離婚に伴う財産分与の判断に委ねるのが相当と解される・・・」

 

 上記裁判例では、増額請求に対する相手方の一部支払いについて明確に不服を申し立てていなかったという権利者側のスタンス等から、そのような場合には、過去の差額分(不足分)は婚姻費用として遡って請求を認めるのではなく、財産分与の場面における清算の要否の問題として考慮するのが妥当という判断を下しています。

 もっとも、この点については様々な考えがあり得るところであり、最初に増額請求をしている事実がある以上、たとえ差額分(不足分)について権利者が明確に請求していなかったとしても、そのような差額分(不足分)は財産分与の問題ではなく婚姻費用として遡って請求を認めるべき、という考え方も十分に成り立ち得るところです。

 いずれの見解が妥当かは判断が難しいところですが、増額請求に対して一部支払いがなされているときに不服を述べないと、見方によっては権利者側が不足分の発生について容認していたと見る余地もありますので、少なくともこのような裁判例があることを踏まえると、増額請求に対して相手が一部しか増額分を払わないときには、後日不利益を受けることのないように不足分について明確に請求しておくのが無難と思われます。

 

 弁護士 平本丈之亮 

 

 

車両保険を使って自動車を修理した場合、保険料の増加分は損害として請求できるのか?~交通事故㉓~

 

 交通事故で車両が損壊した場合、被害者が車両保険に加入していたときは、被害者は相手方に修理費を損害として賠償請求するか、自分の加入している車両保険を使用して修理するかを選択することができます。

 

 自分の加入している車両保険を使用した場合には保険等級が下がり、保険料が増えてしまうデメリットがありますが、では、車両保険を使用したことによって保険料が上がった場合に、加害者に対してその増加分の保険料を損害として請求できるのでしょうか?

 

増加した分の保険料は請求できないという見解が有力

 この点については、車両保険を使用して修理するか、それとも加害者に対して賠償請求して修理するかは本人の自由であることや、そもそも任意保険というものが保険契約者の自衛手段であり、自己の損害を補填するための備えとして加入している以上、そのコストは契約者が負担すべきである、などといった理由から請求できないという見解が有力であり、過去の裁判例においても否定されているものがあります(名古屋地裁平成9年1月29日判決、東京地裁平成13年12月26日判決。なお、裁判例ではありませんが、平成11年版の民事交通事故訴訟損害賠償額算定基準(赤い本)に収録された裁判官の講演録においても、同様に否定する見解が示されています)。

 

 このように、車両保険を使用したことによって増加した保険料は相手方に請求できない可能性が高いと思われますが、車両保険には示談交渉等の煩雑な手続を省いてスピーディーに被害回復できる独自のメリットがあり、特に相手方が対物賠償保険に加入していないなど回収可能性に問題がありそうなケースでは、保険料の増額というデメリットを差し引いても車両保険を利用する意味があります。

 

 最終的には、相手方の保険加入状況や資力、保険料の増額の金額などを総合的に考慮して決めることになると思いますが、いずれにせよ、車両保険の使用を考える場合には、保険料の増加分については相手方に請求することが難しいことを念頭においてご判断いただきたいと思います。

 

弁護士 平本丈之亮

 

相続人の一部に判断能力のない人がいる場合、どうやって遺産分割するのか?

 

 高齢化社会を迎え、最近では相続人にご年配の方が含まれているケースが非常に多く見られます。

 この場合でも、相続人全員がお元気であれば問題なく協議を進めることができますが、相続人の一部に認知症などによって判断能力を欠く方がいる場合、どのように遺産分割を進めたら良いのでしょうか?

 

成年後見人の選任が必要

 判断能力のない方との間における遺産分割は無効となりますので、認知症などで判断能力のない方のいる遺産分割については家庭裁判所で成年後見人を選任してもらい、その成年後見人がご本人に変わって遺産分割協議に参加する必要があります。

 

成年後見制度を利用する際の注意点

 このように、手続的にみると、成年後見人を選任してもらえれば一部の相続人に認知症の方がいても遺産分割には先に進めることができますが、この場合にいくつか注意すべき点があります。

 

 【被後見人の法定相続分を確保する必要】 

 成年後見人は、他の相続人のために活動するものではなく、あくまで被後見人となったご本人のために活動するものですから、成年後見人との間で遺産分割協議を行う場合、被後見人の法定相続分を下回る遺産分割を成立させることはできません。

 相続人ご本人に判断能力があれば、自分の相続分をどのように処分しようと自由ですので心配はありませんが、ひとたび判断能力がなくなってしまえば、それより前にいくら「自分は財産はいらない」と言っていてもその後の遺産分割では効力はなく、その方の法定相続分を確保しなければならなくなります。

 

 【費用がかかる】 

 成年後見人の選任には、家庭裁判所への申立が必要となります。

 申立そのものに要する費用はさほどではありませんが、ご本人に意思能力がないことを証明するために医師の診断書の取付や、ケースによっては裁判所における鑑定の手続が必要となります。

 また、成年後見の申立を弁護士に委任した場合にはその依頼費用がかかりますし、そのほかにも、選任された成年後見人が司法書士・社会福祉士・弁護士など専門職の場合には、ご本人の財産の中から専門職後見人に対する報酬の支払いが必要となります。

 ちなみに、誰が成年後見人に就任するかは家庭裁判所が裁量で決めるため、希望通りの人が後見人にならないことも多くみられます(なお、相続人の一人が他の共同相続人の後見人に選任された場合には、遺産分割については成年後見人と被後見人との間で利益相反となるため、別途、特別代理人の選任も必要となります)。

 

 【遺産分割後も後見は続く】 

 成年後見制度は遺産分割のためではなく、あくまでご本人保護のための制度ですから、申立人の当初の目的である遺産分割が終了しても成年後見人はそのまま継続して任務にあたります。

 そのため、遺産分割の場面だけ成年後見人がつくと考えていると、その後も成年後見人が業務を行うことに伴って予想外の煩わしさを感じることがあります。 

 

 【親族が申立をしてくれないケース】 

 成年後見は配偶者や4親等内の親族などに申立権がありますが、稀に、申立権を有する親族が申立をしてくれず、遺産分割を希望する相続人側の身動きがとれないというケースがあります(たとえば、被相続人と前妻との間の子ども、被相続人の再婚相手、被相続人と再婚相手との間の子どもの3名が相続人のケースで、前妻との間の子どもと再婚相手は養子縁組しておらず、被相続人の死亡後に再婚相手が姻族関係終了届を提出し、その後に再婚相手が認知症になった場合、前妻との間の子どもは再婚相手の親族ではないため、後見の申立権はありません)。

 このような場合、再婚相手の子どもが後見人の選任に積極的でないと遺産分割協議が進展しないことがあります。

 

 以上のように、相続人の一部に判断能力がない場合の対応についてざっくりと説明させていただきました。

 本来、遺産分割は相続人が自由に決められますが、今回お話ししたように相続発生から時間が立ちすぎてしまい一部の相続人について成年後見人の選任が必要になると余分な費用や時間がかかったり処分内容に制限がかかったりと様々な問題が生じることになります。

 そのため、相続人の年齢などから近い将来一部の相続人の判断能力に問題が生じることが想定される場合には、面倒がらずに速やかに協議を行うことが重要です。

 

弁護士 平本丈之亮

2021年1月29日 | カテゴリー : コラム, 相続 | 投稿者 : 川上・吉江法律事務所

不貞の調査費用について、損害賠償請求はできるのか?

 

 不貞行為に基づく損害賠償請求をしたいというご相談を受けた場合、慰謝料以外に調査会社に対して支払った調査費用を請求できないか、というご要望を受けることがあります。

 そこで今回は、この点について判断した近時の裁判例をいくつかご紹介します。

 

肯定例

 【東京地裁平成30年1月10日判決】 

 調査自体の必要性は否定できないものの、ほかに有力な証拠も存在しており必要不可欠なものとまではいいがたいこと、調査報告書が立証のために必要であったとはいいがたいことなどから調査費用の一部のみを損害として認めた事例

 

 【東京地裁平成29年4月25日判決】 

 交際の相手方を特定できておらず配偶者が不貞行為を否定していた等の事情から、交際状況と相手方を把握して損害賠償請求権を行使するために必要なものであったとして、調査に要した費用の一部を不貞行為と相当因果関係のある損害であると認めた事例。

 

 【東京地裁平成28年10月27日判決】 

 調査会社による調査の必要性自体は否定できないが調査結果は立証方法の一つにすぎないこと、原告は複数回の調査を調査会社に依頼しており調査の全てにつきその必要性があったか否かは明らかでないこと、調査内容は被告の行動を調査して書面により報告するというものでありそこまで専門性の高い調査とはいえないことなどから調査費用の一部のみを損害と認めた事例

 

 【東京地裁平成28年2月16日判決】 

 原告が不貞行為を問いただした際、配偶者が不貞関係を認めず調査を行わざるを得なかったことを理由として原告主張の調査費用相当額を損害として認めた事例

 

否定例

 【東京地裁令和2年10月7日判決】 

 不貞行為の存否は専門家の専門的調査、判断を要するようなものではないこと、相手方が性的関係を持ったことを否定しなかったことなどの事情から、調査費用が不貞行為と相当因果関係のある損害であるとは認められないとした事例(ただし、多額の調査費用をかけて不貞行為の有無を調査したことは慰謝料額を算定するにあたっての一事情として考慮すべきとされた。)

 

 【東京地裁令和2年7月14日判決】 

 調査会社の調査結果の一部には不貞行為をうかがわせる事実がを含まれているが、不貞行為を推認させる事実を立証する証拠とはいえないとして,不法行為との相当因果関係を否定した事例

 

 【東京地裁令和元年12月18日判決】 

 調査が不貞関係把握のために有効だとしても、調査費用が一般に不貞行為から生ずる損害とまでは言い難いとし、このような出費をしたことが慰謝料算定の一事由として考慮することがあり得るとしても、調査費用それ自体は不法行為と相当因果関係がある損害と評価することはできないとした事例

 

 【東京地裁平成30年2月1日判決】 

 いかなる証拠収集方法を選択するかは専ら請求者の判断によるものであり、不貞行為との間に相当因果関係は認められないとした事例

 

 【東京地裁平成29年12月19日判決】 

 調査費用が不貞関係の把握のために有効であることは確かであるとしても、一般に不貞行為という不法行為から生ずる費用とまでは言い難く相当因果関係があるとは認め難いとした事例

 

 【札幌高裁平成28年11月17日判決】 

 配偶者が自ら不貞行為を認めていたなどの事情にかんがみると調査を利用しなければ不貞行為の相手方を知ることが不可能であったとまではいえないことや、調査の内容等も判然としないことから、調査費用を損害として認めなかった事例

 

 以上のように、調査費用が損害に含まれるかについては裁判例の中でも判断が分かれているようですが、否定例の中でも、そもそも損害に含まれるものではないという考え方のほか、その事件では立証に不可欠とまではいえないから否定する、という風に事案次第では認める余地があるとする考え方で分かれています。

 他方、肯定例においても、その調査が立証上、どの程度必要性があったのかという個別の事情に即して損害の範囲を判断しており、支出した調査費用がそのまま全額認められる例は多くないように思われました。

 すべての裁判例を網羅できているわけではありませんが、以上のような裁判例が存在することからすると、調査費用については裁判で認められないか、認められたとしても支出した費用の一部に制限される可能性がありますので、調査会社に調査を依頼することを検討するときは、どこまで依頼するか(=どこまで費用をかけるか)について、しっかりと考える必要があると思います。

 

弁護士 平本丈之亮

 

2021年1月28日 | カテゴリー : 慰謝料, 男女問題 | 投稿者 : 川上・吉江法律事務所

離婚後に相手の財産隠しが判明した場合、どうするか?

 

 離婚事件の中でシビアに争われることの多いものとして財産分与がありますが、その中で問題になることがあるのが相手方の財産隠しです。

 

 もしも離婚当時、相手方が夫婦共有財産に該当する財産を隠しており、そのことが後で発覚した場合、隠されていた方としてはどのような対処が可能か、というのが今回のテーマです。

 

・財産分与の取り決めがなかった場合

 

 【離婚から2年以内】 

 

 まず、離婚時に財産分与の取り決めが何もなかった場合、離婚から2年以内であれば、新たに判明した財産を含めて財産分与の請求をすることが可能です。

 

 もっとも、どのような財産であっても財産分与の請求ができるというわけではなく、あくまで夫婦が共同で築き上げたと評価できるもの(夫婦共有財産)に限られますから、隠していた財産がいわゆる特有財産であった場合には財産分与として請求することはできません。

 

 【2年が経過してしまった場合】 

 

 この場合は財産分与の請求期間が経過してしまったため、改めて財産分与を請求するという方法は難しいところです。

 

 ただし、相手方が財産を隠していた場合には、本来財産分与として認められた可能性のある金額について、損害賠償を請求できる可能性があります(これを認めた裁判例として、浦和地裁川越支部平成元年9月13日判決があります)。

 

・財産分与の取り決めをしていた場合

 

 以上に対して、財産分与の合意をしたが、その中に本来入るべき財産が入っていなかったという場合には、その財産が重要なものであり、その財産の存在を事前に知っていれば当初の合意はしなかったといえる事情があるときは、財産分与に関する合意が錯誤によって無効(2020年4月1日以降は取消)となる可能性があります(→「財産分与をやり直すことはできるか?」

 

・事前の情報収集が重要

 

 以上の通り、相手が財産隠しをしたとしても、後日そのことがわかった場合には救済されるケースもあります。

 

 もっとも、このようなケースは幸運にも隠し財産の存在が判明したからこそ可能だったものであり、そもそも見つからなければ請求することはできないという限界がありますので、実際に離婚するにあたっては、事前にどれだけ相手方の財産に関する情報を得られるかの方がより重要となります。

 

 弁護士 平本丈之亮

 

交通事故で怪我をした場合に治療やリハビリを怠るとどうなる?~交通事故㉒~

 

 交通事故で怪我をした場合、通常は治療やリハビリに専念し、それを前提に損害賠償額を計算していきます。

 では、そのような通常の治療経過を辿らず、適切な治療やリハビリを怠った場合、損害賠償の場面ではどのような影響があるのでしょうか?

 今回は、このような治療行為と損害賠償の関係についてお話します。

 

治療費の支払いを早期に打ち切られる可能性

 相手に保険会社がついている場合、通常だと、ひととおりの治療が終了するまで、保険会社が医療機関に医療費を支払ってくれます(内払い)。

 このような取り扱いは被害者に治療に専念してもらうため保険会社が行っているものですが、治療費の内払いは損害賠償金の仮払いであるため、最終的には示談や裁判の段階で差し引き清算されることになります。

 もっとも、当然ながら保険会社としては不要な治療費の支払いを継続することはなく、定期的に医療機関に治療状況を問い合わせ、被害者の状況を確認しています(そのため、保険会社からは医療情報を取得することの同意書の提供を求められます)。

 そうすると、必要な治療やリハビリをサボった場合には、通院の実績がないということになりますから、保険会社としてはもはや治療の必要性がないと判断し、治療費の内払いを早期で打ち切る方向で検討することになります。

 

傷害慰謝料の計算で不利益を受ける可能性

 怪我による慰謝料の計算は、原則として入院期間と通院期間の長さを基礎として算出されます。

 そのため、適切な治療やリハビリを怠った場合には通院期間が短くなり計算上の慰謝料が少なくなることがありますし、通院期間自体は長くても通院頻度が少なくなるため、通院期間を基準とするのではなく実通院日数の3~3.5倍の日数を基準とした低額の慰謝料しか認められなくなる可能性も生じます。

 

後遺障害の等級認定で不利益を受ける可能性

 治療やリハビリを怠った場合には、そもそも後遺障害が生じるほどの怪我ではなかったとか、あまり病院に行っていなかったのだからもう怪我は治っているはずだなどと判断されて、後遺障害の認定において不利な判断を受ける可能性があります。

 その場合には、本来受けられたはずの後遺傷害慰謝料や後遺障害逸失利益が得られないか減ってしまうことになりますが、後遺障害事案ではこの2つの損害がかなりの額を占めることも多いため、最終的な賠償の時点で大きな差となって現れることになります。

 

裁判で賠償額が減らされる可能性

 これに対して、後遺障害の等級認定そのものについては不利な扱いを受けなかったとしても、治療やリハビリを怠ったという被害者側の不適切な対応が問題視され、後遺障害が残った責任の一端は被害者にもあるといった理由で賠償額を減らされるケースもあります(そのほかにも、後遺障害は治療等を怠ったことや他の原因によるものであり、交通事故と後遺障害の間に因果関係はないと争われるケースもあります)。

 

 たとえば、事故の内容からみて通常想定されるよりもかなり重い後遺障害が残ったというケースで、東京地裁平成26年1月16日判決では、被害者がリハビリを継続していれば現在の症状に至らなかったと指摘し、そのほかにも精神的な疾患を抱えていたことなどの事情も加味したうえで、加害者に損害の全部を賠償させることは公平を失するとして6割の減額がなされています。

 また、交通事故ではありませんが、ゴルフコースでボールが目に当たったという事故のケースでは、被害者が治療に消極的であり医師から手術を再三にわたって検討を促されたのにこれに応じず、その結果、視野の欠損範囲の拡大や大幅な視力低下を招いたということなどを理由に、6割の過失相殺がなされたというものもあります(東京地裁平成27年3月26日判決)。

 

適切な治療が重要

 以上の通り、適切な治療やリハビリを怠るということは、ご自身の怪我を治すためという一番の目的を遠ざけるだけではなく、その後の賠償の場面においても影響を及ぼします。

 様々な事情により治療等に通えないというケースも確かにありますが、やむを得ない理由がないにもかかわらず治療やリハビリに消極的な姿勢を取った場合、様々な問題が生じることになりますので、くれぐれも注意が必要です(ただし、だからといって過剰な治療行為等を行うべきではありませんので、治療行為は医師などと相談しながら妥当な範囲で行うべきことは当然です)。

 

弁護士 平本丈之亮

 

過去の婚姻費用を遡って請求することはできるのか?

 

 別居や離婚を考えたときに検討するものの一つとして婚姻費用がありますが、諸事情からすぐに請求できなかったり支払いがなされないまま時間がたってしまったというケースがあり、そのような場合にいつの分から請求できるのか、あるいは過去に支払われなかった分を遡ってどこまで請求できるのかというご質問を受けることがあります。

 

 そこで今回は、この点についてお話ししたいと思います。

 

婚姻費用について具体的な取り決めがあった場合

 

 この場合には既に婚姻費用の支払いを求める権利が具体的に発生している以上、単なる未払いの問題として過去の分を遡って請求することが可能です。

 

 ただし、あまりに古いものについては時効によって請求できなくなることもあります。

 

 

婚姻費用について具体的な取り決めがなかった場合

 

 以上に対して、相手と婚姻費用について取り決めがなかった場合には、いつまで遡ってもらえるのか(始期)の問題が生じます。

 

 この点は裁判所の裁量的判断に属するため明確に決まるものではありませんが、実務上は請求の意思が明確になった時点から認められることが多いと思います。

 

【婚姻費用の調停を申し立てた場合】

 

 この場合、裁判所では、調停申立時点で請求の意思が明確になったとして、その時点まで遡って請求を認める傾向にあります。

 

  しかし、最終的にどの時点まで遡るかは裁判所の判断次第ですから、個別の事情(相手方の収入や資産、申立がなされるまでに時間を要した場合にはその理由など)によっては、申立以前に遡って支払いを命じられる可能性もあります。

 

 たとえば、婚姻費用そのもののケースではありませんが、医学部に進学した子どもが医師の父親に扶養料の請求をしたというケースで、父親が再婚後に子どもとの交流を拒否するようになり、手紙で面会の申入れをしたことに対しても、今後一切連絡してこないようにと応答したなどといった事情を指摘し、扶養料の請求の始期を裁判所への申立や協議の申し入れのときではなく、医学部への進学の月まで遡らせたという裁判例があります(大阪高裁平成29年12月15日決定)。

 

【内容証明郵便などで請求していた場合】

 

 調停の申立以前に請求していた場合にはそこまで遡って請求できるケースもあり、実際にも内容証明郵便で支払いの意思を示したところまで遡って請求できるとした裁判例もあります(東京家裁平成27年8月13日決定)。

 

 そのほか、個別の事情如何では請求時より前に遡る可能性があることは先ほど述べたとおりです。

 

 

離婚成立まで具体的な請求をしていなかった場合

 

 上記2パターンのほか、そもそも離婚が成立するまで婚姻費用について請求しないままだったというケースもありますが、このようなときに、離婚が成立してから過去の婚姻費用を遡って請求することは容易ではないと思われます(養育費は当然ながら請求可能ですが、請求時以降に限定される可能性があるのは婚姻費用と同じです)。

 

 これと異なり、裁判所への申立後に離婚が成立したという逆のパターンについては、最高裁令和2年1月23日決定において離婚成立までの分の婚姻費用の請求も可能と判断されましたので、とりあえずは離婚成立前に請求しておけば、請求から離婚までの分は救済される可能性があります。

 

 この最高裁決定は婚姻費用の請求を裁判所に申し立てた後に離婚が成立したケースに関するものであり、請求しないまま離婚が成立した場合について判断したものではありません。

 

 そのため、離婚まで請求していなかった場合にまで遡って請求できるかどうかは解釈問題となりますが、離婚が成立しているのであれば、どこかのタイミングで婚姻費用を請求できたことが多いと思いますので、離婚成立まで請求しなかった場合にまで、後になってから過去分の請求を遡って認めるのは個人的には難しいのではないかなと考えています。

 

財産分与の場面で清算することもある

 

 なお、上記のように離婚成立までに過去の未払分の婚姻費用を請求していなかった場合でも、離婚成立の際に財産分与について解決が未了だったのであれば、後の財産分与の請求において過去の婚姻費用分を加算するよう求めることができることもあり、その場合、過去のお互いの収入を参考に本来支払われるべきであった婚姻費用相当額を計算し、その全部ないし一部を本来の財産分与額に上乗せするという形で処理します。

 

 ただし、どこまで上乗せすることが許されるのかについて明確な定めがあるわけではなく、この点も最終的には個別の事情を踏まえた裁判所の裁量判断になりますし、離婚の際に今後は互いに請求しないという清算条項を付していた場合にはこのような形で追加請求することもできなくなります。

 

 このように、過去の未払婚姻費用が当然に加算されるとまではいえませんし、財産分与の場面では過去の婚姻費用はあくまで財産分与額を決める際の一つの考慮要素にすぎないことから、そもそも分与すべき財産が存在しないと請求できません。

 

 そのため、未払いの婚姻費用がある場合、基本的には婚姻費用それ自体を早期に直接請求する形を取っておく方が無難です。

 

弁護士 平本 丈之亮

 

定期金賠償と被害者の死亡の関係~交通事故㉑~

 

 交通事故で重い後遺障害が残った場合、様々な損害が生じます。

 代表的なものは後遺傷害慰謝料、後遺障害逸失利益ですが、そのほかにも、特に障害が重い場合には将来の介護費用が認められることがあります。

 このうち、将来の介護費用と後遺障害逸失利益については、年1回など定期的に支払いを受ける場合があり、これを「定期金賠償」といいます(※)。

 

 定期金賠償は、一時金賠償の際に行われている「中間利息控除」と呼ばれる控除計算が行われないため、それぞれの賠償の終期(平均余命又は就労可能期間)まで問題なく受け取ることができた場合、一時金賠償よりも受取総額が多くなる可能性があるという特徴があります(もっとも、のちに被害者が回復した場合や物価の著しい変動などがあった場合にはそれに応じて減額される可能性はありますし(民訴法117条1項)、民法改正によって中間利息控除に用いられる法定利率が引き下げられ以前よりも控除額が減少したことから、必ずしも定期金の方が多くなるとまでは断言できません)。

 

 このように定期金賠償は将来の一定期間まで継続的に賠償が行われるものですが、それでは、事故後に病気など別の事情によって被害者が亡くなってしまった場合、定期金賠償として受け取っていた後遺障害逸失利益や将来介護費はその後どうなるのでしょうか?

 今回は、この点をテーマにお話ししたいと思います。 

 

※ 定期金賠償の可否

 将来の介護費については古くから定期金賠償が認められていましたが、後遺障害逸失利益については定期金賠償が認められるか争いがありました。

 この点については、最近の最高裁判決(最高裁令和2年7月9日判決)により一定の場合(被害者が定期金賠償を求めており、定期金賠償をさせることが損害賠償制度の目的及び理念に照らして相当と認められるとき)には本来の就労可能期間までの間について定期金賠償が認められるとされました。

 

後遺障害逸失利益→死亡しても受け取れるが、一時金に変更される可能性もある

 後遺障害逸失利益を一時金として受け取る場合、たとえ途中で死亡しても、本来の就労可能期間までの分についても賠償請求ができるとするのが従来の判例でしたが(最高裁平成8年4月25日判決)、先ほど紹介した定期金賠償を認めた最高裁判決でも同様に解されており、交通事故の時点で、被害者が死亡する原因となる具体的事由が存在し、近い将来における死亡が客観的に予測されていたなどの特段の事情がない限り、被害者が死亡した後の分についても加害者の賠償義務はなくならないと判断されています。

 

最高裁令和2年7月9日判決(抜粋)

「上記後遺障害による逸失利益につき定期金による賠償を命ずるに当たっては,交通事故の時点で,被害者が死亡する原因となる具体的事由が存在し,近い将来における死亡が客観的に予測されていたなどの特段の事情がない限り,就労可能期間の終期より前の被害者の死亡時を定期金による賠償の終期とすることを要しないと解するのが相当である。」

 

 もっとも、被害者の死亡によってもその後の賠償義務はなくならないということと、死亡後も定期金賠償の方式が継続されるかどうかはまた別の問題です。

 中間利息控除が行われないという理由から、被害者の遺族が死亡後も定期金賠償を望むことがあり得ますが、他方、加害者側(主に保険会社)からすると定期金賠償は支払総額の問題だけでなく債務管理コストが嵩むという問題もあるため、被害者の死亡後には一時金賠償に変更することを望む場合もあると思われます。

 この点については、上記最高裁判決(最高裁令和2年7月9日判決)において小池裕裁判官が補足意見を述べており、被害者が死亡した後は、民訴法117条の(類推)適用により加害者側が定期金賠償から一時金賠償に変更する訴えを起こす方法があり得ると示唆されています。

 そのため、仮にこの補足意見にしたがった場合には、被害者の死亡後に定期金賠償が一時金に変更される可能性もあり、この場合、死亡後の分について受け取れなくなるわけではないものの、一時金賠償に計算をし直す際に中間利息の控除計算をするため、その分、総受取額が減少することになると思われます。

 

将来介護費→死亡により受け取れなくなる

 将来介護費は、後遺障害逸失利益のような本来得られたはずの利益を喪失したこと(消極損害)の賠償ではなく、実際に発生した損害(積極損害)の賠償ですが、被害者の死亡によって具体的な支出が生じなくなった以上、被害者の死亡後は介護費の支払いを求めることはできないとされています(最高裁平成11年12月20日判決)。

  この判決は直接的には将来介護費について一時金の支払いを求めた事例に関するものですが、被害者の死亡によって具体的な支出がなくなるという将来介護費の性質は支払方法によって変化するわけではありませんので、定期金賠償で受け取っていた場合も同様に死亡後の介護費は受け取れなくなります(そのため、定期金の支払いを命じる判決では支払いの終期が「死亡するまで」とされます)

 

 

 このように、後遺障害逸失利益、将来介護費用の定期金賠償についてはその後の被害者の死亡によって受け取ることができるかどうか異なります。

 定期金賠償は受取総額が多くなる可能性があるというメリットがありますが、他方で、必ず満額を受け取ることができるのかどうか不確実であるなど特有のデメリットもありますし、そもそも一時金賠償と定期金賠償を被害者がどこまで自由に選択できるかどうかという問題もあることから、具体的な賠償請求の場面では被害者の方の後遺障害の内容や程度を踏まえ、弁護士に相談しながら慎重に対応していくことをお勧めします。

 

弁護士平本丈之亮

 

財産分与と不利益変更についての話

 

 財産分与は離婚の協議・調停・裁判のそれぞれの段階で問題となるものですが、今回は、協議や調停の段階で相手から提案されていた条件や、訴訟手続における第一審裁判所の判断が、その後の手続で拘束力があるのか、つまり、当初の提案内容や一審裁判所の判断内容が最低保証としての意味を持つのかどうかについてお話したいと思います。

 

協議→調停

 協議段階で相手から提案されていた財産分与の条件は、あくまで交渉段階における提案にすぎませんので、協議がまとまらず調停に移行したときに、協議時点よりも不利な条件を提案されることはあります。

 協議段階で提案した条件をあとで撤回することについては、協議では早期解決や円満解決を目指すという目的があり、そのような目的のために協議限りの提案として譲歩案を提示することは不合理ではないため、このような条件変更に問題はありません。 

 

調停→訴訟第一審

 調停後の訴訟の場面でも、調停段階で提案されていた条件よりも不利な条件に変化することはあり、これもあまり問題視されません(ただし、あまりに不合理な条件変更があった場合には裁判所の心証が悪化するなど、手続を進めるうえで不利益が生じることはあり得ると思います)。

 もちろん、裁判所は当事者が前に提案していた条件に拘束されませんので、裁判所は独自の立場から妥当な財産分与を定めることになります。

 

第一審→上訴審

 ここで問題となるのは、財産分与を命じた第一審判決について、相手側は不服はないものの、こちら側だけが不服があり不服申立をした場合に、第一審の裁判所の判断よりも不利な内容に変更される可能性はないのかどうかです。

 通常の民事訴訟では、こちらが不服を申し立て相手は不服を申し立てなかった場合、単にこちらの上訴の妥当性だけが判断されるため、たとえこちら側の主張が排斥されても一審の判断より不利になることはありません(これを不利益変更禁止の原則といいます)。

 しかし、財産分与についてはこの原則の適用がないとされており(最高裁平成2年7月20日判決)、こちら側だけが不服を申し立てた場合でも、裁判所が財産分与について原審よりも不利な内容に変更してしまうことがあり得ます。

 たとえば、離婚訴訟の第一審でこちらが200万円の財産分与を求めていたところ、判決では100万円の財産分与が認められ、その判決に対してこちらだけが不服があるとして控訴した場合、ケースによっては控訴審で100万円を切る財産分与の判断が下る可能性があります。

 相手が不服を申し立てたのであれば仕方ない面がありますが、そうでない場合にこちらからアクションを取った場合には結果的に藪蛇になってしまう危険性があることに注意が必要です。

 

 このように、財産分与について協議、調停、訴訟のそれぞれの段階で相手が示した条件や裁判所が下した判断は、後の手続で最低保証としての意味を持ちません。

 今の条件を受け入れるべきなのか、それともその次の段階に進むべきなのかについては難しい判断が求められることがありますので、迷われた場合には弁護士へのご相談をお勧めします。

 

弁護士 平本丈之亮

 

2020年12月2日 | カテゴリー : 離婚, 財産分与 | 投稿者 : 川上・吉江法律事務所