退職後の競業禁止義務を定めた合意の有効性

 

 勤務先の会社と競合する会社へ転職することや、競合する事業内容の事業を行う会社の設立などを禁止する義務を「競業避止義務」といいます。

 

 

原則:退職後に競業避止義務はない

 

 在職中、労働者は、労働契約上の信義則(労働契約法第3条4項)に基づいて会社に対する競業避止義務を負うとされており、就業規則の中にも競業避止義務が定められている例が多くあります。

 

 これに対して退職後は、元労働者に職業選択の自由があるため当然に競業避止義務はなく、元労働者に競業避止義務を課すには個別の合意が必要となります。

 

 

有効な競業避止義務に違反した場合のペナルティ

 

 有効な競業避止義務の合意があり、これに違反した場合、元労働者は以前の勤務先から損害賠償請求を受けたり競業行為の差し止めを求められることがあります。

 

 また、中には退職後の競業避止義務に違反したことを退職金の不支給や減額の事由として定めているところもあり、合意に違反して退職後に競業行為に及んだ場合、退職金が支給されなかったり減額されたりするほか、一旦支給された退職金の返還を求められるといったトラブルが発生することもあります(競業避止義務と退職金の関係については後述)。

 

 

競業避止義務の合意の有効性

 

 退職後の競業避止義務を定める合意は労働者の職業選択の自由を制約するものであり、内容によっては再就職や起業が難しくなるなど労働者に対して重大な影響を与えるものです。

 

 そのため退職後の競業避止義務の合意は、いかなる場合でも無条件に有効になるわけではなく、裁判例上、一定の縛りがかけられているのが実情です。

 

 

有効性はどう判断する?

 

 競業避止義務の合意が効力を有するかどうかは、まず、①労働者の自由意思による合意があったかどうかが問題となり、次に、②その合意が必要かつ合理的な内容かどうか、が問題となります。

 

【①労働者の自由意思】

 

 たとえば、労働契約書や就業規則には何も記載がないにもかかわらず、退職する際に突然、競業を禁止する内容を含む誓約書を示し、これに署名することが退職金の支払条件であるといった話をしたり、労働者を狭い個室に呼び出し、数名がかりで取り囲んで会社側が事前に用意した誓約書にその場ですぐ署名するよう執拗に求めるといったように、拒絶しがたい状況の中でサインさせたような場合、自由意思に基づく合意がなかったとして競業避止義務の合意そのものが否定される可能性があります。

 

【②合意の必要性・合理性】

 

 たとえ労働者の自由意思による合意があっても、労働者が負う競業避止義務による不利益の程度や使用者の受ける利益の程度、競業避止義務が課される期間、労働者への代償措置の有無等の事情に照らして必要かつ合理的な範囲を逸脱したものである場合は、そのような合意は公序良俗に反して無効となるというのが過去の裁判例の傾向です。

 

 なお、競業避止義務の効力については、合意全体が無効となる場合だけではなく、競業が禁止される内容を合理的な範囲に制限する(=一定限度で有効とする)というケースもあります(福岡高裁令和2年11月11日判決など)。

 

 競業避止義務の必要性・合理性を検討するための判断要素をより具体的に列挙すると以下のとおりですが、このうちのどれか一つだけで有効・無効が決まるわけではなく、これらの事情を総合的に考慮したうえで有効性が判断されることには注意を要します。 

 

必要性・合理性の判断要素

競業禁止の目的や必要性の有無、程度

・競業避止義務を課す会社側に保護に値する正当な利益(特別なノウハウや営業秘密など)があるかどうか、保護すべき利益の重要性はどの程度か 

元従業員の立場・職務内容

・在職中、その労働者が競業避止義務によって守るべき会社の利益にアクセス可能な地位や職務にあったかどうか

禁止される競業行為の範囲

・再就職や起業自体が禁止されるか、会社の既存顧客に対する営業行為だけが禁止されるのか

・禁止される業務内容や職種に限定があるかどうか 等

競業が禁止される期間

・期間が短いほど職業選択の自由への制約が少ないため有効とされやすい

地域の限定の有無や範囲の広さ

・会社の商圏から離れた地域まで禁止対象となっていると、会社が守るべき利益は乏しいとして無効となりやすい。ただし、ノウハウなどの保護が目的の場合は地域を限定しても目的が達成できないことから、守るべき利益次第ではこの点は有効性の判断に影響しないこともありうる

代償措置の有無・内容

・職業選択の自由を制限するための対価とみうるものが労働者に提供されていると有効となりやすい

 

競業避止義務の合意を無効とした近時の裁判例

 

 最近の裁判例でも、上記のような事情を総合的に考慮して競業避止義務を定めた合意の有効性を判断し、結論として無効と判断したものがあります。

東京地裁令和4年5月13日判決

【競業避止義務の内容】

①禁止行為

・会社との取引に関係ある事業者への就職

・会社の客先に関係ある事業者への就職

・会社と取引及び競合関係にある事業者への就職

・会社と取引及び競合関係にある事業の開業・設立

 

②禁止期間:退職後1年間

 

③禁止される競業行為の範囲

転職先の業種、職種の限定はない。

 

④競業が禁止される地域の限定

地域の定めはない。

 

⑤代償措置

手当、退職金その他退職後の競業禁止に対する代償措置は講じられていない。

 

会社の事業内容】

主にシステムエンジニアを企業に派遣・紹介する株式会社であり、具体的な作業については各派遣先・常駐先・紹介先会社の指示に従う

 

在職時の労働者の職務】

システムの設計、開発、テスト等

 

在職時の労働者の地位】

システムエンジニア

 

【裁判所の判断】

会社は主にシステムエンジニアを企業に派遣・紹介する株式会社であり、具体的な作業には各派遣先・常駐先・紹介先会社の指示に従うものとされていた。

 

・システムエンジニアの従事する業務内容に照らせば、会社がシステム開発、システム運営その他に関する独自のノウハウを有するものとはいえないし、元従業員がそのようなノウハウの提供を受けたと認めるに足りる証拠もない。

 

→会社が退職後の競業避止義務を定める目的・利益は明らかとはいえない。

 

合意により会社が達しようとする目的は明らかではないことに比べ、元労働者が禁じられる転職等の範囲は広範であり、その代償措置も講じられていないことからすると、競業禁止義務の期間が1年間にとどまることを考慮しても、競業避止義務を定めた合意は、その制限が必要かつ合理的な範囲を超える場合に当たるものとして公序良俗に反し、無効。

 

競業避止義務違反を退職金の不支給や減額の事由とする場合

 

 競業避止義務に違反した場合は主に損害賠償や競業行為の差し止めが問題になりますが、そのほかにも、競業避止義務に違反したことを退職金の不支給や減額の条件としている場合もあります。

 

 この点について、名古屋高裁平成2年8月31日判決は、就業規則に退職後6か月以内に同業他社に就職した場合は退職金を支給しないという条項があったケースについて、このような定めは退職従業員の職業選択の自由に重大な制限を加える結果となる極めて厳しいものであるから、退職金を支給しないことが許容されるのは労働の対償を失わせることが相当であると考えられるような顕著な背信性がある場合に限る、と判示しています。

 

 以上のように、退職後の競業避止義務違反と退職金の支給とを連動させた場合には、先ほど述べたような諸要素からの判断だけではなく、+αの条件として顕著な背信性があることが必要とされる可能性があります。

 

 

事業者側の注意点

 

 競業避止義務自体は事業者の持つ独自のノウハウなどを守るために有用ですが、あまりにも広すぎたり期間が長すぎたりするようなものは無効とされてしまいますので、自社の利益と労働者の利益とをバランスよく考える必要があります。 

 

 競業避止義務に関する合意の効力については多くの裁判例があり、そのような過去の裁判例を参考にすることで有効と判断されやすい内容とすることが可能ですので、退職労働者に対して競業避止義務を課すことを検討しているときは過去の裁判例をもとにした事前のリサーチが有効と思われます。

 

労働者側の注意点

 

 他方、退職した労働者側としては、競業避止義務が有効とされた場合、再就職や起業に制約を受けることになるほか、あとになってから損害賠償請求や差止請求などを受けるリスクが生じることから、安易にそのような記載のある書面にサインすることは禁物です。

 

 もっとも、ここでご説明した通り競業避止義務について合意してしまったとしても、内容によっては無効とされることもあります。

 

 実際に相談を受けていると、競業避止義務の合意を盾に損害賠償請求を受けているものの、内容をみると期間が長すぎたり範囲が広すぎる、代償措置も全く講じられていないなど問題の多い合意内容となっていることがありますので、そのようなトラブルが起きたときは弁護士に相談して対応を協議することをお勧めします。

 

弁護士 平本丈之亮 

生命保険金が遺産総額を超えていたにもかかわらず特別受益に準じた持ち戻しが否定されたケース

 

 遺産分割や遺留分の計算において、特定の相続人が生命保険の受取人になっている場合、その生命保険金を特別受益に準じて持ち戻して(遺産に合算して)計算するべきかが問題となることがあります。

 

 生命保険金は遺産ではないため原則として持ち戻しはしませんが、例外的に、受取人である相続人その他の共同相続人との間に生ずる不公平が、特別受益について定める民法903条の趣旨に照らして到底是認することができないほどに著しいものと評価すべき特段の事情が存する場合には、死亡保険金も特別受益に準じて持戻しの対象となります(最高裁平成16年10月29日決定)。

 

特段の事情の判断要素

 

 生命保険金を特別受益に準じて持ち戻すかどうか(特段の事情の有無)は、①保険金の額、②保険金額の遺産総額に対する比率、③それぞれの相続人や被相続人との関係(同居の有無、被相続人の介護等に対する貢献の度合いなど)、④各相続人の生活実態、といった点に着目してケースバイケースで判断されますが、実務的には生命保険金と遺産総額を比べた場合の比率が重視される傾向にあり、過去の裁判例でもまずはこの点から持ち戻しの可否を検討しています(後記関連コラム参照)。

 

 しかし、生命保険金と遺産総額の比率も絶対的な基準ではなく、最終的に特別受益に準じて持ち戻しをするかどうかはあくまで相続人や被相続人との関係性や生活実態なども考慮して判断されますので、今回ご紹介する裁判例のように遺産と比較して生命保険金の比率が高かったとしても持ち戻しが否定されることがあります。

 

広島高裁令和4年2月25日決定

【当事者の属性など】

 

<抗告人>

・生命保険金を持ち戻すべきと主張

・被相続人の母

・被相続人とは長年別居し,生計を別にしていた

 

<相手方>

・生命保険金の受取人

・被相続人の妻

・婚姻期間約20年

・婚姻前を含めた同居期間約30年

・一貫して専業主婦で被相続人の収入以外に収入を得る手段がなかった

・現在は2ヶ月ごとに19万円の遺族年金を受給している

 

【死亡保険金と遺産総額】

 

<死亡保険金>

合計2100万円(妻が取得)

 

<相続開始時の遺産評価額>

772万3699円(2.7倍)

 

<遺産分割の対象財産の評価額>

459万0665円(4.6倍)

・・・抗告人は目減り分を相手方が不当利得したと主張

 

【裁判所の判断】

 

・死亡保険金の合計額は2100万円であり、被相続人の相続開始時の遺産の評価額(772万3699円)の約2.7倍、本件遺産分割の対象財産の評価額(459万0665円)の約4.6倍に達している。

・・・生命保険金の遺産総額に対する割合は非常に大きいといわざるを得ない。

 

・公益財団法人生命保険文化センターの生活保障に関する調査(平成28年度速報版)によると、男性加入者が病気によって死亡した際に民間生命保険により支払われる生命保険金額の平均は、平成3年で2647万円、平成28年で1850万円である。

・・・本件死亡保険金の額は一般的な夫婦における夫を被保険者とする生命保険金の額と比較してさほど高額なものとはいえない。

 

・被相続人と相手方は、婚姻期間約20年、婚姻前を含めた同居期間約30年の夫婦であり、その間、妻は一貫して専業主婦で、子がなく、被相続人の収入以外に収入を得る手段を得ていなかった。

 

・2口の保険のうち、死亡保険金の大部分を占める保険について、被相続人は婚姻を機に死亡保険金の受取人を相手方に変更するとともに死亡保険金の金額を減額変更し、被相続人の手取り月額20万円ないし40万円の給与収入から保険料として過大でない額(2口合計で約1万4000円)を毎月払い込んでいった。

・・・本件死亡保険金は被相続人の死後、妻の生活を保障する趣旨のものであったと認められる。

 

・相手方は現在54歳の借家住まいであり、本件死亡保険金により生活を保障すべき期間が相当長期間にわたることが見込まれる。

 

・これに対し、抗告人は、被相続人と長年別居し、生計を別にする母親であり、被相続人の父(抗告人の夫)の遺産であった不動産に長女及び二女と共に暮らしている。

 

→上記事実からすると、本件において生命保険金は特別受益に準じた持ち戻しの対象にはならないと判断。

 

<遺産減少分=不当利得との主張>

・差額分は被相続人の死亡後に被相続人のために必要な費用を支出したと認められ、差額分も当該費用として支払われたことがうかがわれる。

 

・仮に相手方が上記差額から必要な費用を支出した残額を一定程度自己の元に留めていたとしても、そのうち抗告人との関係で不当利得が成立する部分は本件遺産分割手続外で抗告人に返還されるべきものである。

 

・また、不当利得の成立しない部分については相手方が利益を得るものと考慮しても、これをもって特別受益に関する判断を左右する事情になるとまで評価することは困難である。

 

<遺族年金を考慮すべきとの主張>

・被相続人との同居を開始後、死亡するまでの間、妻が一貫して専業主婦であり、その年齢も考慮すると、2か月ごとに19万円の遺族年金を受給していることを考慮しても現時点で十分に生活するだけの資力、能力等を有しているとは認められない。

 

 この裁判例のケースでは、生命保険金が遺産の評価額を超えていることから遺産総額に対する割合は非常に大きいと判断されており、その点を重視すれば持ち戻しがなされてもおかしくはなかったように思います。

 

 しかし、このケースで裁判所は、受取人が妻であったことや、抗告人である被相続人の母が被相続人とは長年別居していたなどの関係性、双方の生活状況の比較、被相続人が保険契約を残した趣旨、保険金額が一般的な水準であることなど他の事情も考慮して持ち戻しを否定しています。

 

 上記裁判例からも分かるとおり生命保険金の持ち戻しに関する判断はまさにケースバイケースであり、相続人間で問題になったときは当事者間の協議だけで解決できない場合も多いと思いますので、この点が問題となったときは弁護士への相談をお勧めします。

 

弁護士 平本丈之亮

 

2022年11月23日 | カテゴリー : コラム, 相続 | 投稿者 : 川上・吉江法律事務所

懲戒解雇相当などの退職金不支給事由があるものの、退職金の一部支給が認められた3つのケース

 

 職場を懲戒解雇された場合、労働者は職を失うという重大な不利益を受けることになりますが、そのほかにも、就業規則上、懲戒解雇に相当する事情の存在が退職金の不支給事由として規定されていることが一般的であり、それに基づき退職金が支給されないということがあります。

 

不支給事由あり≠退職金不支給

 

 もっとも、今日において退職金は単なる会社からの恩典ではなく、労働の対価(賃金)の後払いとしての性質を有するというのが一般的な考え方であり、退職金の不支給事由が存在することのみによって過去の労働の対価を一切失わせることは労働者にとって酷な場合もあります。

 

 そのため裁判例においては、退職金を不支給とするには不支給事由が就業規則等に定められていることは当然の前提として、そのような不支給事由が存在するだけでは足りず、その労働者にそれまでの勤続の功を抹消又は減殺するほどの著しい背信行為があったことが必要であると考えられており、また、仮に背信行為があったとしても全額を不支給とするのではなく、退職金の何割かの支払いを命じるケースが存在します。

 

 そこで今回は、懲戒解雇や退職金の不支給を検討している事業者、あるいは懲戒解雇やそれに相当する事情を理由として退職金を不支給とされた労働者の方向けの参考として、懲戒解雇に相当する事情があったにもかかわらず、退職金の支給が一部認められた最近の裁判例を3つほどご紹介したいと思います。

 

一部支給を認めた裁判例

 

東京地裁令和3年6月2日判決

【非違行為の内容】

・自らが懇意にする外国人女性ホステスの就労ビザ更新のため、職務を利用して取引先に在職証明書の偽造を依頼して作成させた(処分事由①)。

 

・職務を利用して取引先に9回にわたりクラブへの同行を要望し費用を取引先に支払わせるなどした(処分事由②)。

 

【裁判所の判断】

・処分事由①は会社の社会的評価を毀損しかねないものであって情状は悪い。

 

・原告には処分事由②も認められ、被告の業務内容(不動産の賃貸借及び売買、交換のあっせん等を目的とする株式会社)及び被告における原告の地位(施設管理の責任者として、建物管理、原状回復工事及び修繕工事の新規発注先を設定するために必要な申請を行ったり、既存の発注先から新規発注先に業務の発注を変更したりする権限を有していた。)等に照らすと、労働者のそれまでの勤続の功を一定程度減殺する悪質性があることは否定できない。

 

・他方、処分事由①にかかる行為について、作成された内容虚偽の在留資格証明書は実際に提出されることはなかった。

 

・処分事由②は半年間にわたり約55万円の飲食費の饗応を受けたという内容であり、その期間は比較的短期間であり、その金額が非常に高額のものであるとまではいえない。

 

→労働者のそれまでの勤続の功を全て抹消するほどの著しい背信行為があったとまではいうことはできないとして、退職金不支給条項は退職金の5割を超えて不支給とする点で一部無効であると判断し、5割の支給を認めた。

高松地裁丸亀支部令和2年10月19日判決

【非違行為の内容】

郵便局職員が、約3年間、取集郵便物に貼付された未消印切手(1万8619円分)を窃取していた。

 

【裁判所の判断】

・懲戒解雇理由とされた切手窃取行為は被告の企業秩序の維持の観点からみて重大な非違行為であり、その態様も悪質であって、原告の勤続の功労を大きく減殺するものといわざるを得ない。

 

・一方で窃取切手の金額(1万8619円)は比較的少額であり、本件懲戒解雇の後ではあるものの原告はこれと延滞金を被告に弁償している。

 

・原告は長年被告又は被告が使用者の地位を承継した法人等において勤務してきており、本件退職手当には賃金の後払いや退職後の生活保障としての性質もある。

 

・本件懲戒解雇に至るまで原告が被告から懲戒処分を受けたことはない。

 

→上記事情を考慮すると、原告の行為をもってそれまでの勤続の功を全て抹消するほどの著しい背信行為とはいい難いというべきであるとして不支給規定の適用を限定的に行い、仮に懲戒解雇がなければそのわずか6日後に原告が定年退職をすることは確実であったと考えられること等の一切の事情を総合的に考慮し、原告が定年退職をしたと仮定した場合の退職金の額の3割の支給を認めた。

東京地裁平成29年10月23日判決

【非違行為の内容】

事故前日に断続的に飲酒をし、就寝の際、医師から飲酒時の服用を禁止されていた精神安定剤等を服用したため、当日の朝ふらつき感を覚え、発熱まであり欠勤するに至ったにもかかわらず更に飲酒を続け、高濃度のアルコールを身体に保有する状態で自動車を運転した結果、運転を誤って営業中のスーパーマーケットの玄関付近に自車を衝突させ、店舗に修理費162万円を要するほどの損傷を与えるなどした。

 

【裁判所の判断】

・被告(鉄道利用運送事業、貨物自動車運送事業、海上運送事業、利用航空運送事業等を営む会社)が企業としての社会的責任を果たし、名誉、信用ないし社会的評価を維持するため飲酒運転について厳罰をもって臨み、原則として解雇事由としていることは必要的かつ合目的的であるといえる。

 

・本件酒気帯び運転はその態様が悪質でありその行為に至る経緯に酌量の余地はなく、結果も重大である。

 

・原告は現行犯逮捕され、実名で新聞報道がされるなどしており、その社会的影響も軽視することはできない。

 

・他方、懲戒解雇処分における解雇事由は、私生活上の非行に係るものである。

 

・原告は本件酒気帯び運転まで26年以上の長期にわたり懲戒処分等を受けることなく真面目に勤務してきた。

 

・本件酒気帯び運転や本件事故について素直に認め本件店舗に直接謝罪をするとともに、自ら加入していた自動車保険を利用して被害弁償をして示談し宥恕されている。

 

・被告に対しても謝罪し自ら退職願を提出している。

 

・原告が被告の従業員であったことまでは報道されておらず、被告の名誉、信用ないし社会的評価の低下は間接的なものにとどまる。

 

・これらの事情に加えて、被告は原告の持病の治療や父親の看護等を慮って懲戒委員会の開催を遅らせるとともに、処分決定までの間、原告を無給の休職とすることなく、自宅待機を命じ基準内賃金等を支払っていた。

 

→上記事情を総合すると、本件酒気帯び運転が原告のそれまでの勤続の功労を全て抹消するものとは認め難いものの大幅に減殺するものといえ、その減殺の程度は5割と認めるのが相当として、自己都合退職した場合の退職金額の5割の支給を認めた。

 

参考(否定例)

 

 以上の3つは退職金の支給を認めた裁判例ですが、最後に参考として、退職金の支給を否定した裁判例についても一つご紹介したいと思います。

 

大阪地裁令和元年10月29日判決

【非違行為の内容】

約1年半の間、当時の就業場所(郵便局)において10回にわたり1000円切手合計780枚、78万円分を横領した(原告は当時資産管理業務の補助社員として切手、はがき、収入印紙等の在庫管理等を行っていた)。

 

【裁判所の判断】

・本件横領行為は、正に原告が当時従事していた被告の中心業務の1つの根幹に関わる最もあってはならない不正かつ犯罪行為であり、出来心の範ちゅうを明らかに超えた被告に対する直接かつ強度の背信行為であって極めて強い非難に値する。

 

・被害額も多額に上る。

 

・その後の隠ぺいの態様も悪質性が高い(切手点検に同席し点検用紙にあたかも在庫数が符合しているかのようにチェックを入れたり、原告自ら在庫数を査数して在庫数が符合しているかのようにチェックを入れる、あるいは不足分を水増しした枚数を点検者に口頭報告していた)。

 

・動機に酌むべき点も見当たらない(金券ショップに持ち込んで換金し競馬や風俗店での遊興費にあてていた)。

 

→退職手当は賃金の後払い的な性質をも併せ持つこと、被害は回復されていること、原告は約24年8か月余りの間、本件横領行為及び過去の注意処分のほかは大過なく職務を務めていたこと,本件横領行為を行った郵便局在勤中にお歳暮の販売額に関するランキングで5位以上であったこと、被告による事情聴取に応じて最終的には非を認めて始末書や手記を提出し、本件横領行為の態様、隠ぺい工作、動機等についても明らかにしていることを十分に考慮したとしても、原告による本件横領行為は原告の従前の勤続の功を抹消するほど著しい背信行為といわざるを得ないとして請求を棄却。

 

不支給となるかは総合判断

 

 以上のように、退職金不支給事由に該当する事情があっても、裁判所はそれだけでは不支給を正当化せず、非違行為の悪質性、非違行為と職務との関連性(私生活上の行状にとどまるものか職務に関連するものかどうか)、勤務先の事業内容、動機、非違行為が勤務先に与えた損害の有無・程度、非違行為が社会に与えた影響の有無・程度、本人の過去の懲戒歴の有無や内容、退職までの残存期間、不支給事由発生後の状況(被害弁償や謝罪の有無など)、といった様々な事情を総合的に判断して不支給とすべきかどうか、あるいは一部の支給を認めるかどうかを検討しています。

 

 このように、退職金の不支給事由として懲戒解雇に相当する事情が規定され、これに該当しても退職金の支給が認められることはありますが、この点は様々な事情を総合的に検討して判断する必要がありますので、実際に不支給とされた場合にはご自分だけで判断するのではなく弁護士にご相談いただければと思います。

 

 他方、企業側としても、不支給としたことで裁判になり、弁護士への委任費用など本来不必要なコストを負担せざるを得ないことがありますので、果たして不支給とすべきか、それとも一部のみでも支給すべきかどうかについては事前に弁護士にご相談なさることをお勧めします。

 

弁護士 平本丈之亮

 

個人再生の認可決定後、支払いできなくなったらどうする?

 

 個人再生は、債権の一部を減免してもらい、残りの借金を3年から5年以内で支払っていくことを内容とする法的手続ですが、自己破産と違って一定期間支払いを継続していくことが予定されている手続であるため、何らかの事情で支払いができなくなるケースもあります。

 

 認可決定された再生計画に基づく支払いを怠った場合、裁判所が評価した債権額の10分の1以上の債権を有する債権者は再生計画の取消を申し立てることできますが(民事再生法189条1項2号、同3項)、そうなった場合、それまで支払った分は無駄にはならないものの(同法189条7項)、元々の債務が復活してしまうという大きな不利益を受けることになります。

 

 そのため、事情によって再生計画の履行が困難となったときは何らかの対策をとる必要がありますが、今回は、再生計画の遂行が難しくなったときにどのような方法があり得るかお話ししたいと思います。

 

・再生計画の変更

 

 再生計画を遂行することが困難となった場合、一定の条件をみたせば、当初の再生計画の最終期限から2年以内に限り支払期限を延長することができます。(民事再生法234条1項)。

 

 なお、解釈上、全体で2年以内の範囲に収まれば延長回数自体は2回以上でも認められるとされていますが、変更できるのは期間のみであり金額の減免は認められていません。

 

 再生計画の変更が認められるには、①やむを得ない事由により、②再生計画を遂行することが著しく困難となったことが必要であり、具体的には債務者のコントロールが及ばない事情によって当初の計画では弁済を継続することは困難だが、期間を延長すれば何とかやりくりできそうだという場合を意味しますが、適用条件が厳しいため実際の利用件数は多くないようです。 

 

・ハードシップ免責

 

 また、再生計画の遂行が極めて困難な場合には「ハードシップ免責」(民事再生法235条)という制度により残債務の免除が認められますが、以下のとおり条件は非常に厳しいものとなっています。

 

①債務者の責めに帰することができない事由により再生計画の遂行が極めて困難となったこと

 

②各債権の4分の3以上の弁済を終えていること

 

③免責することが再生債権者の一般の利益に反しないこと

 

④再生計画の変更が極めて困難であること

 

 再生計画の変更は再生計画の遂行が「著しく困難」となったことが必要であるのに対し、ハードシップ免責では再生計画を遂行することが「極めて困難」となったことが要求されており(①)、再生計画の変更よりも条件が厳しく制限されています。

 

 また、③の要件についても、当初の再生計画案における清算価値を下回らないことが必要であることを意味することから、たとえば、当時の清算価値が200万であったため再生計画案に基づく米債総額が200万円になったようなケースだとこの条件を満たすたすことはできません(他方、負債の5分の1が200万円で、清算価値が100万だったため弁済総額が200万になったようなケースであればこの要件をクリアできます)。

 

 このように、ハードシップ免責は非常に条件が厳しいことから、この制度によって免責が得られる例は少ないと思います。

 

・再度の個人再生

 

 以上のような方法以外にも、再生計画の認可決定確定後に支払いが困難となった場合、再度の個人再生の申立が可能です(民事再生法190条)。

 

 再度の個人再生手続が開始されると、当初の認可決定によって減免された債務は元に戻りますが、それまでの間に行った弁済は有効です(民事再生法190条1項但書)。

 

・自己破産

 

 以上のいずれも難しい場合、そのままでは支払いができないわけですから、最終的には自己破産をせざるを得ないものと思われます。

 

 再生計画履行中に破産手続開始決定があった場合、個人再生によって減免された債権は既に支払った分を除いてもとに戻りますが(民事再生法190条1項)、破産手続によって免責されれば支払いをする必要はなくなります。

 

 

 以上の通り、個人再生の認可決定後に支払いが困難となった場合には法的な対処法がいくつかありますが、再生計画の変更などは要件が厳しくなっているため、早めに弁護士に相談していただきたいと思います。

 

弁護士 平本丈之亮

 

個人再生で3年を超える弁済計画が認められるのはどういう場合か?

 

 個人再生は、住宅ローンや税金などを除く一般の債権者への債務の一部を減免し、残る負債を原則3年間で支払う法的整理手続です。

 

 しかし、債務額や資産が多い、あるいは収入が低いなどといった事情から、原則である3年間では完済できないというケースもあります。

 

 この場合、民事再生法では、最長で5年まで返済期間を延長することができるとされているのですが、それではいったい、どのような条件をみたせば3年を超える期間の再生計画案が認められるのでしょうか?

 

・「特別の事情」が必要

 

 民事再生法上、3年を超える再生計画案が認められるには「特別の事情」が必要とされていますが(民事再生法229条2項2号括弧書、244条)、これをわかりやすくいえば、3年では返済しきれないものの、収入の安定性や家族からの援助の可能性など本人の生活状況に照らし、返済期間を延長すれば支払えるといえることが条件となります。

 

・実際にはある程度広く認められている

 

 このように、3年以上の再生計画案が認められる条件が「特別の事情」と規定されているため、字面をみるといかにも条件が厳しいように見えますが、実際の運用上はそこまで厳しく制限されているというわけでもなく、(もちろん事情次第ですが)比較的緩やかに認められているという印象です。

 

・延長した期間でも履行可能といえることが必要

 

 もっとも、返済期間を延長できるとはいっても、あくまでも延長した期間内で完済できるといえることが必要であるため、たとえば5年間の返済計画案を立案しても、4年目に入った時点で定年退職し、収入が大幅に減少してしまうようなケースだと認められない可能性があります(定年後に年金を受給し、それで払えるといえるのであればできるケースもあります)。

 

 3年を超える再生計画案が認められるかどうかは、本人の収入や勤続年数、職歴、定年がある場合には定年までの残り年数、本人や家族の健康状態、家族の就業状況・収入、再生計画案における返済総額とこれを返済期間で割った場合の毎月の負担見込額、現時点における家計収支の状況、家族構成に照らした将来の支出増加の可能性の有無・程度など様々な要素が絡むため、裁判所に対してはこのような事情を説明し、3年以上の再生計画案であっても履行可能であることを積極的に説明することが重要です。

 

 個人再生は、様々な書類の提出だけではなく再生計画案を作成して提出することが必要であり、清算価値保障原則を満たす内容でなければならないなど手続自体が自己破産に比べて複雑ですが、それ以外にも、3年を超える再生計画案を作成する場合には上記のとおりやや難易度が上がりますので、個人再生に慣れた弁護士への相談をお勧めします。

 

弁護士 平本丈之亮

主婦(主夫)は、個人再生を利用できるのか?

 

 債務整理の相談を受ける中で、相談者が主婦(主夫)であり自分自身には収入はないものの配偶者には収入があるというケースがあり、このよう場合、個人再生が認められるかが問題となることがあります。

 

 典型的な事案は、住宅ローンの主たる債務者が主婦(主夫)であり、ローンを組んだ時点では収入があったが、その後に主婦(主夫)になったケースや、年式が新しいため自己破産をすると売却されてしまう自動車を持っており、これを残したいといったケースですが、このような場合に、配偶者からの援助が得られることを理由として主婦(主夫)が個人再生を利用できるのでしょうか?

 

・無収入の場合、個人再生は難しい

 

 個人再生の基本的な利用条件の一つに「将来において継続的に又は反復して収入を得る見込みがあ」ることがありますが(民事再生法221条1項)、申立の時点において主婦(主夫)であって収入がまったくないという場合、たとえ配偶者からの援助が見込まれたとしてもこの条件をみたさないとして申立が認められられない可能性があり、実際、当事務所でも裁判所からそのような指摘を受けたケースがあります。

 

・パート収入等があれば認められる可能性はある

 

 以上に対して、全くの無収入ではなくパート収入を得ているようなケースであれば、勤続年数や本人の収入額、配偶者からの援助額などの事情次第ではあるものの手続を認めてもらえる可能性があります。 

 

・早期就労が鍵

 

 このように、全くの無収入の場合だと主婦(主夫)が個人再生を利用するのは難しいところですが、たとえ相談の時点では無収入であっても、その後に弁護士が介入して請求を止めつつ、その間に早期に就労することができれば、状況次第では個人再生を利用できる場合があります。

 

 就労までにあまりに時間を要するようでは債権者から裁判を起こされる等のリスクもあり、無限に先延ばしできるわけではありませんが、やり方次第では利用できる可能性はありますので、主婦(主夫)の方で個人再生をお考えの方は一度弁護士へのご相談をご検討いただければと思います。

 

弁護士 平本丈之亮

任意整理と自己破産、どちらをするべきか?

 

 債務整理のご相談を受けていると、任意整理(債権者との間で3年から5年の分割払いの合意をする債務整理の方法)が良いか、自己破産をするのが良いか迷っているという相談を受けることが多くあります。

 

 また、最近では、一度任意整理にチャレンジしたが、依頼した弁護士や司法書士に指示された積立ができず辞任されてしまい、やむなく別の専門家を探している、という流れで自己破産のご依頼を受けるパターンが増えています。

 

 そこで今回は、債務整理の方法について迷っている方や、任意整理を希望する方向けに、どのような点に気をつけるべきかについてお話ししたいと思います。

 

1 支払の原資を確保できる見込みがあるか

 

 まず、何よりも重要なのは、今後、3年ないし5年間程度、債権者に対して無理なく支払いを継続できるだけの原資を確保できるかどうかです。

 

 この点をクリアできない場合、任意整理にチャレンジして、たとえ一旦は合意ができたとしても、早晩破綻してしまい、それまでに弁護士や債権者に対して支払った額がすべて無駄になってしまうためです。

 

家計収支表の重要性

 そのため、任意整理ができるかどうかを検討するときには、まずはご自分の世帯収入と支出についてきちんと分析し、毎月一定の支払原資を捻出できるか、家計収支表を利用して計算してみることが有用です。

 

 ちなみに、家計収支表の書式はインターネットを検索すればすぐに出てきますのでどの様式を使っても問題ありませんが、自己破産の申立に使用するための書式を裁判所が公開していますのでそれが利用しやすいと思います。

 

 家計収支表を作成する場合に重要なのはどちらかというと収入よりも支出の方であり、特に、毎月は発生しないが一定のサイクルで必ず発生するもの(税金や車検代、アパートの更新料など)や臨時支出(冠婚葬祭費など)も考慮して、毎月問題なく返済に回せるであろう金額について厳しめに見積もる必要があります。

 

 このような家計収支表を作成した結果、黒字が発生し、現在の債務総額を一月あたりの黒字額で割った場合の年数が3~5年で収まるようであれば、任意整理がうまくいく可能性があります(例 債務総額:150万円 黒字:6万円 → 150万円÷6万円=25(2年1ヶ月))。

 

 もっとも、この計算は、あくまで現時点でのシミュレーションでしかないため、3~5年後までそのような計算が成り立つのか、今後の減収や生活費の増加の可能性も念頭において検討する必要がある点は注意が必要です。

 

 以上に対して、そもそも収支を計算したら±0に近い状態とか、黒字でも債務総額を黒字額で割った返済期間が5年を超えてくるようだと、方向性としては自己破産をするのが妥当ということになります(ただし、債権者によっては5年を超えた分割和解に応じてくれることもあるため、そのような債権者だけが対象であれば任意整理できる場合もあります)。

 

2 自己破産できない理由があるかどうか

 

 法律上、自己破産ができるのは支払不能の場合とされていますが、実際には、支払不能にも見えるが、頑張ればかろうじて支払いを継続していけそうだという場合もおり、任意整理、自己破産のいずれの方向性もあり得る方がいます。

 

 そのような方については、自己破産をすることができない特段の理由があるかどうかという点が、次の方針選択の基準となります。

 

 そのような理由として多いのは、たとえば、出勤用に使っている自動車にローンが残っていて自己破産をすると自動車を手放さなければならなくなるケースや、子どもの学資保険や自分の生命保険を解約されては困るケースなどがあります。

 

 もっとも、このうち保険についていえば、自己破産をしたとしても、解約返戻金と現預金などの他の資産を合計して99万円までなら「自由財産拡張」という制度を活用して残せることも多く、そもそも掛け捨ての保険であれば解約する必要もないいため、保険が自己破産の障害になるケースはあまりありません。

 

 また、自動車についても、親族に改めてローンを組んで買ってもらったり、家族が元々持っている車を利用させてもらう、安い中古軽自動車を現金で購入するなどによって対応可能な場合もあるため、そのような形で対応可能であれば、あえて無理な任意整理にチャレンジする必要がないこともあります。

 

※住宅ローンがあって残したいという場合には、別の法的手続である「個人再生」がありますが、今回は割愛します。

 

3 数年後、自分や家族がどうなっていたいか

 

 任意整理をした場合、3年から5年程度、毎月一定額の支払いを継続する必要があるため、その間、収入をストックすることができません。

 

 たとえば、振込手数料込みで毎月5万円を5年間支払う内容で任意整理した場合、5年間で300万円を債権者に対して支払うことになりますが、これだけの金額があれば、たとえば子どものために新たに学資保険に入ったり自動車を購入することも可能です。

 

 そのため、自己破産と任意整理のどちらでも可能性があるというケースでは、3~5年後に、自分や家族がどういう状況でいたいかということも重要な判断基準となります。

 

債務整理の方針選択は慎重に

 

 以上述べた視点以外にも、自己破産というものに対するイメージや、借りたものは返したいというお気持ち、家族の意向、保証人がいる場合の影響への懸念など、債務整理の方針を決定する上では考えなければならない点が多くあります。

 

 他方、昨今の債務整理の相談では、このような考えるべき事柄についてあまり深く検討されることなく、とにかく任意整理するということで進めた結果、失敗してしまったというケースが見られます。

 

 債務整理を検討している方は、精神的に追い詰められ、とにかく一刻も早く楽になりたいという一心で専門家に相談されると思いますが、むしろそのような状態だからこそ、安易に結論を出すのではなく幅広い観点から検討して決断していただきたいと思いますし、場合によっては複数の専門家に相談してから結論を出すという慎重さも必要になると思います。

 

弁護士 平本丈之亮

 

遺留分を下回る内容で遺産分割協議をした場合、協議は無効にならないのか?

 

 相続のご相談をお受けしていると、既に遺産分割協議が成立したが、あとで計算してみたところ、相続人に最低限確保されるべき遺留分を下回っている内容であったため遺産分割は無効ではないのか、というご相談をお受けすることがあります。

 

 そこで今回は、このような主張が成り立つのかどうかについてお話ししたいと思います。

 

 そもそも遺留分は、本来、自分の財産を自由に処分できる被相続人の財産処分権に制限を加え、相続人に最低限の取り分を保障するための権利であり、相続人が関与できない被相続人の生前の処分行為による不利益を緩和するための制度ですが、遺産分割協議は、被相続人自身による処分行為のない未分割遺産について、相続人間の協議によって遺産の取得割合や方法を決めるものであり、遺産分配のプロセスに相続人が関与します。

 

 このように、遺産分割協議は、他者との協議が必要であるにせよ最終的には自らの判断によって分割内容を決めるものであることから遺留分制度によって保護する必要がないため、遺留分を下回る内容で遺産分割を行うことも相続人の自由であり、(民法改正前の事案ではありますが、)近時の裁判例においても、遺留分に満たない内容の遺産分割協議でも無効になるものではないと判断されています。

 

東京地裁令和2年12月25日判決
「遺留分は、被相続人の意思によっても奪い得ない相続分であるが(平成30年法律第72号による改正前の民法1028条)、遺留分を侵害する遺贈等が当然に無効となるわけではなく、遺留分を侵害された者が遺留分減殺請求権を行使することによって初めて同侵害された遺留分を回復することができる(同法1031条)。この点に鑑みると、遺産分割協議において各相続人の遺留分を確保することが必須とはいえず、一部の相続人の遺留分が確保されていないことをもって、当該遺産分割協議の効力を否定することはできない。」

 

 遺産分割協議の過程に何らかの瑕疵があった場合、そのような協議が無効になる可能性はありますが、上記のとおり、単に遺留分を下回る内容という理由だけで無効とすることは困難と思われますので、遺産分割協議を成立させる際には、本当にその内容で合意して良いのか、慎重に判断していただきたいと思います。

 

弁護士 平本丈之亮

 

 

2022年5月26日 | カテゴリー : コラム, 相続 | 投稿者 : 川上・吉江法律事務所

清算条項を含む離婚協議書の作成後、相手方が財産分与を求めてきた場合、財産分与の義務がないことを裁判で確認してもらうことはできるのか?

 

 離婚について協議がまとまった場合、夫婦における権利義務関係を確定するために離婚協議書を作成することがあり、この場合、紛争が蒸し返されないよう、当事者間ではこの協議書に定めたもののほか、互いに債権債務がないといった条項(清算条項)を記載するのが一般的です。

 

 このような清算条項は紛争の蒸し返しを目的とするものですから、清算条項を入れた離婚協議書の作成後に追加請求がなされることは通常ありませんが、相手方が何らかの理由によって離婚協議書の内容を争い、後日、財産分与などの請求を行うというケースは存在します。

 

 相手方が離婚協議書の効力を争う理由は様々ですが、この場合、任意の請求を拒否されれば、通常は相手方が財産分与を求めて調停・審判を申し立てるため、被請求側は相手方が申し立てた手続の中で財産分与請求権が既に存在しないことを主張していくことになります。

 

 ところが、相手方がこのような正規のルートにより請求するのではなく、事実上、直接の請求行為を繰り返すというケースもあり、このような場合には被請求側は対応に苦慮することになります。

 

 このようなケースにおいて、事実上の請求を受けている側としては、財産分与の義務が既に存在しないことを裁判で公的に確定してほしいというニーズが生じますが、他方、財産分与は一般の民事事件とは異なり、家庭裁判所において取り扱われる事件(家事審判事項)であることから、このような義務が存在しないことを裁判で確認してもらうことはできない(不適法)のではないかが問題となります。

 

東京地裁令和3年11月30日判決

 

 この点についてはあまり議論されていないところですが、東京地裁令和3年11月30日判決は、家事審判事項に該当する夫婦間の同居義務等も法律上の実体的権利義務であり、これを終局的に確定するには公開の法廷における対審及び判決によるべきとした最高裁昭和40年6月30日決定を援用し,「財産分与義務自体の不存在の確定を求めて民事訴訟を提起することは妨げられない」と判断しています。

 

 先ほど述べたとおり、離婚協議書の効力を争って財産分与を請求したい場合、任意請求が功を奏しなければ調停や審判の申立をするのが筋ですが、中にはそのような正式手続を踏まずに当事者間の交渉で強引に解決しようとするケースもあり、被請求側としてはきちんと決着をつけたいニーズもあると思われます。

 

 したがって。万が一このようなトラブルに巻き込まれた場合は、財産分与義務の不存在確認の裁判を起こすということも選択肢に入ってくると思います。

 

弁護士 平本丈之亮

 

定年退職による収入減少は養育費の減額事由となるか?

 

 養育費は、将来にわたって長期間支払いを継続していくものですが、養育費の取り決めをした時点で予測し得ないような事情変更が生じたときは、いったん取り決めた養育費の減額や増額が認められることがあります。

 

 このような事情変更の例としては、たとえば再婚による子どもの出生や子の養子縁組、収入の大幅な減少などがありますが、それでは、養育費の支払期間中に義務者が定年退職し収入が減少したことは、このような事情変更にあたり養育費の減額事由になるのでしょうか?

 

 この点については、定年退職自体は予測できることである以上、そのような事情は養育費を減額すべき事情変更にあたらないとの考え方もあり得ますが、以下の通り、定年退職そのものについて予測可能であったとしても、事情の変更にあたり得ることを肯定した裁判例が存在します。

 

広島高裁令和元年11月27日決定

「未成年者が満20歳に達する日の属する月の前に抗告人が定年退職を迎えることは、本件和解離婚当時、抗告人において予測することが可能であったといえる。しかし、予測された定年退職の時期は、本件和解離婚当時から10年以上先のことであり、定年退職の時期自体、勤務先の定めによって変動し得る上、定年退職後の稼働状況ないし収入状況について、本件和解離婚当時に的確に予測可能であったとは認められないのであって、本件和解条項が、定年退職による抗告人の収入変動の有無及び程度にかかわらず、事情の変更を容認しない趣旨であったとは認められない。したがって、本件和解離婚当時、抗告人において定年退職の時期を予測することが可能であったことは、定年退職による抗告人の収入減少が事情の変更に当たることを否定するものではない。」

 

 上記裁判例は、定年退職の時期が10年以上も先のことであったことや、定年退職の時期自体が勤務先の定めによって変動しうること、養育費の取り決めをした時点で将来の収入状況などを的確に予測可能であったとはいえないとして、定年退職による収入減少が事情変更にあたらないとはいえないと判断しています。

 

 確かに、定年退職自体については予測可能であっても、そこから一歩進んで、定年退職後に自分がどの程度の収入を得られる見込みがあるのかまで具体的に予測して養育費の取り決めをすることは困難な場合もあり、このような抽象的な予測可能性があるからといって、いかなる場合でも変更が認められないというのは、義務者にとって酷な結果となるケースもあると思われます。

 

 そもそも養育費の変更に事情の変更が必要とされるのは、取り決めをした当時に予測できた事情を根拠に安易に金額変更を認めると法的安定性を害するためですが、他方、予測できる事情であれば一切事後的な変更が認められないとすれば当事者の実情に合わず、法的安定性の名のもとにかえって当事者の公平を害する場合もあり得ますので、定年退職までの時期や、定年退職後の収入減少の程度によっては減額が認められるべきと考えられます。

 

 いずれにせよ、上記裁判例のような枠組に従うのであれば、抽象的に定年退職が予測し得たかどうかという点だけでは減額の可否は決まらず、取り決め時から定年退職までの期間の長さや、定年退職後の具体的な収入変動の状況がどの程度のものだったかが重要な要素になると思われますので、減額を求める側、求められた側の双方とも、このような事情について重点的に主張していくことが大事になるかと思います。

 

弁護士 平本丈之亮