無職の妻からの婚姻費用の請求について潜在的稼働能力の有無が問題となった2つの事例

 

 婚姻費用や養育費を計算する場合、基本的には当事者の実際の収入をもとに計算します。

 

 もっとも、様々な事情によって無職の状態にある場合でも、実際には収入を得られるだけの能力があるはず(潜在的稼働能力)として、一定の収入があるとみなして金額を算定する場合があります。

 

 今回は、このような潜在的稼働能力による婚姻費用の算定が問題となった事例を2つご紹介します。

 

過去の勤務実績や退職理由から潜在的稼働能力をもとに婚姻費用を算定したケース(大阪高裁平成30年10月11日決定)

 このケースでは、婚姻費用を請求した無職の妻について以下の事情があるとして、妻の収入を退職の前年に得られていた収入をもとに計算しました。

 

①妻は教員免許を有していること

 

②妻は数年前に手術を受け、就労に制約を受ける旨の診断を受けているが、手術後に2つの高校の英語科の非常勤講師として勤務し、約250万円の収入を得ていたこと

 

③妻の退職理由は転居であり、手術後の就労制限を理由とするものとは認められないこと

 

 この裁判例では、妻の勤務実績と、退職理由が手術後の就労制限ではなく転居であるという点に着目して、退職する前年の収入をもとに婚姻費用を計算しています。

子どもが幼少で幼稚園や保育園にも通っていないという事情から潜在的稼働能力を否定したケース(東京高裁平成30年4月20日決定)

 原審は、妻に以下の事情があることを指摘して妻の潜在的稼働能力を肯定し、賃金センサスの女子短時間労働者の年収額程度の稼働能力を前提に婚姻費用の金額を定めました。

 

①妻が歯科衛生士の資格を持ち歯科医院で10年以上の勤務経験があること

 

②長男及び長女は幼少であるものの長男は幼稚園に通園していること

 

③妻は平日や休日に在宅していることの多い母親の補助を受けられる状況にあること

 

 これに対して、高裁は、長男は満5歳であるものの長女は3歳に達したばかりであり,幼稚園にも保育園にも入園しておらずその予定もないという事情を重視して、妻の潜在的稼働能力を否定し妻の収入を0として計算しました。

 ただし、高裁決定においても、この判断は「長女が幼少であり,原審申立人(※注 妻)が稼働できない状態にあることを前提とするものであるから、将来,長女が幼稚園等に通園を始めるなどして,原審申立人が稼働することができるようになった場合には、その時点において、婚姻費用の減額を必要とする事情が生じたものとして、婚姻費用の額が見直されるべきものであることを付言する。」と述べ、将来的には潜在的稼働能力による金額変更の可能性を認めています。

 

 以上のとおり、当事者に無職者がいる場合の潜在的稼働能力は、無職者の家族関係や過去の勤務実績、保有する資格や退職理由などの諸事情から判断されることになります(子どもが幼少の場合は潜在的稼働能力が否定されやすい傾向にあるとはいえますが、両親等の同居家族の存在やサポート体制によっては必ずしもそう言い切れないところです)。

 

 潜在的稼働能力が肯定された場合の収入認定についてもまちまちであり、今回ご紹介したように直近の収入を基礎とするケースもあれば、統計上の平均的な収入を基礎とするケースもあります。

 

 今回は権利者が妻である場合を例にお話ししましたが、潜在的稼働能力が問題となるのは義務者の場合も同じであり、義務者となるのも夫とは限りません(夫が子どもを引き取るケース)。

 

 このように、別居中にいずれかが無職になってしまった場合には妥当な婚姻費用を計算することが難しくなることがありますので、そのような事情があるときは一度弁護士への相談をご検討ください。

 

弁護士 平本丈之亮

 

 

有責配偶者からの婚姻費用の請求は認められるのか?

 

 別居に至った場合、配偶者の一方から婚姻費用の請求がなされることがあります。

 婚姻費用の請求は権利であり、通常、これを行使することに何ら問題はありませんが、別居に至った原因が不貞行為など婚姻費用を請求してきた側にあった場合、これを認めて良いのか疑問が生じます。

 そこで今回は、いわゆる有責配偶者から婚姻費用の請求があった場合にこれが認められるかどうかについて、最近の裁判例を2つほどご紹介したいと思います。

 

東京高裁平成31年1月31日決定

 妻が夫に対して婚姻費用の請求をした事案において、裁判所は概要以下のような理由から婚姻費用の請求を否定しています(夫と子どもが同居、妻は単身で居住)。

 

①夫婦は互いに協力し扶助しなければならず、別居した場合でも他方に自己と同程度の生活を保障するいわゆる生活保持義務を負い、夫婦の婚姻関係が破綻している場合においても同様であるが、婚姻費用の分担を請求することが当事者間の信義に反し又は権利の濫用として許されない場合がある。

②本件において夫婦が別居に至った経過は、酔って帰宅した妻が子どもの首を絞め、壁に押し付けて両肩をつかむなどの暴力をふるい、これを注意した夫ともみ合いつかみ合いとなり、包丁を持ち出して夫に向けて振り回し負傷させるなどの暴力行為に及び、それを見た子どもが玄関から裸足で飛び出したことから、危険を感じた夫が子どもとともに家を出て別居するに至ったというものである。

③妻は、上記暴力行為以前から、子どもを叩く、蹴るなどしており、このような度重なる暴力によって子どもの心身に大きな傷を負わせていたことがうかがわれ、その上、酔って生命に危険が生じかねない暴力行為に及んだものであって、このような暴力が子どもに与えた心理的影響は相当に深刻であったとみられる。

④児童相談所は、子どもについて一時保護の措置をとり、夫は妻と別居して家庭裁判所により子どもの監護者に定められ、その監護をすることとなった。

⑤婚姻関係の悪化の経過の根底には、妻の子どもに対する暴力とこれによる子どもの心身への深刻な影響が存在するのであって、必ずしも夫に対して直接に婚姻関係を損ねるような行為に及んだものではない面はあるが、別居と婚姻関係の深刻な悪化については妻の責任によるところが極めて大きい。

⑥妻には330万円余りの年収があるところ、夫が住宅ローンの返済をしている住居に別居後も引き続き居住していることによって住居費を免れており、相応の生活水準の生計を賄うに十分な状態にある。

⑦夫は会社を経営し約900万円の収入があるが、妻が居住している住宅の住宅ローンを支払っており、さらに、子どもを養育して賃借した住居の賃料及び共益費、私立学校に通学する学費や学習塾の費用などを負担している。

⑧以上のお互いの経済的状況に照らせば、別居及び婚姻関係の悪化について極めて大きな責在がある妻が、夫に対し、夫と同程度の生活水準を求めて婚姻費用の分担を請求することは信義に反し、又は権利の濫用として許されない。

 このケースでは、妻の子どもに対する暴力行為があり、これが夫婦関係を悪化させたという経緯があることや、妻にもそれなりの収入があり、かつ、夫が別居後に妻の住居費を負担していること、夫が子どもの生活費や学費を負担していることなどから、妻からの婚姻費用の請求を認めませんでした。

 なお、裁判所は、妻が子どもの世話のほとんどを担い、子どもの問題行動に悩み、注意しても一向に治まらなかったことから暴力に及んだものであって、相当に鬱屈した精神状態であったことがうかがわれると指摘し、他方、夫側にも育児を妻に任せたり2年ほど子どもを無視する、妻とも話をしない状態となっていたとして相応の非があったと述べ、妻のおかれていた事情にも一定の理解を示しています。

 しかし,このような双方の責任とを比較すると、夫側の非はごく小さな比重のものにとどまると述べ、上記のような結論に至っています。

 

大阪高裁平成28年3月17日決定

 本件は、不貞行為があったとされた妻から夫に対する婚姻費用請求について、以下のように述べて妻の分を否定し、子どもの分のみの分担を命じたものです。

 

「夫婦は、互いに生活保持義務としての婚姻費用分担義務を負う。この義務は、夫婦が別居しあるいは婚姻関係が破綻している場合にも影響を受けるものではないが、別居ないし破綻について専ら又は主として責任がある配偶者の婚姻費用分担請求は、信義則あるいは権利濫用の見地からして、子の生活費に関わる部分(養育費)に限って認められると解するのが相当である。」

 

 なお、妻は、手続の中で不貞行為の存在を争ったようですが、不貞相手と目される男性とのSNSの通信内容から、「単なる友人あるいは長女の習い事の先生との間の会話とは到底思われないやりとりがなされていることが認められるのであって、これによれば不貞行為は十分推認されるから、相手方の主張は採用できない。」として排斥されています。

 このケースでは不貞行為の立証が成功したため、有責配偶者である妻の分の請求は排斥されていますが、夫が高収入であったことが影響し、審理期間中の12ヶ月分の婚姻費用から既払い額を控除した額として200万円近くを遡って支払う決定がなされています(+将来にわたって子どもの養育分の支払い)。

 ここまで高額になるケースはそこまで多くはないかもしれませんが、不貞行為など請求者の有責性を理由に婚姻費用の排斥を求める場合には、立証に失敗する可能性があるほか、相手方が監護する子どもの分については支払いは免れないことから、過去に遡ってまとめて支払いを命じられるリスクがあることに注意が必要です。

 

 以上のように、婚姻費用を請求する側に有責性がある場合、信義則違反あるいは権利の濫用として婚姻費用が否定されることがあります。

 もっとも、婚姻費用が否定されるのは、別居に至った原因がもっぱら又は主として権利者側にのみあると立証できた場合に限られますし、否定されるのも配偶者の部分に限られます(配偶者の部分についても、全額を否定するのではなく一部は認めるという裁判例もあります)ので、実際に婚姻費用を請求された場合にどう対応すべきかは難しい判断が要求されます。

 相手の有責性を立証できなければ過去の分に遡って支払いを命じられるというリスクもあり、この問題については慎重な対応が求められますので、迷った場合には弁護士への相談をご検討ください。  

 

弁護士 平本丈之亮

 

離婚を考えたときに検討すべきポイントについて

 

 様々な理由で離婚を考えたとき、離婚が本当にできるのか、子どものことはどうなるのか、お金の問題はどうなのかなど、一度に色々考えなければならないことがあります。

 このような場合、とりあえず弁護士に相談してみるのも有効ですが、その前に、まずは自分自身である程度問題点を整理することができていれば、その後の進め方についても迷いが少なくなります。

 そこで今回は、離婚が頭によぎったら考えておくべきポイントにどのようなものがあるのかをお話しします。

 

【Point1 相手が離婚を承諾してくれる見込みはあるか】

 何はともあれ、ここがまずもって一番大事なポイントです。

 ここでどの程度の見込みがあるかどうかで、離婚の進め方が大きく変わる可能性があるからです。

 たとえば、離婚そのものについては応じてくれそうであれば、基本的な方針は協議離婚となりますし、そもそも相手が離婚に対して大きく抵抗することが予想される場合には、協議離婚については選択肢から外すかほどほどにしておき、早期に調停の申し立て、あるいは訴訟まで見据えて準備を整えておくなど、その後の方針が大きく変わります。

 

【Point2 子どもの親権や面会交流について】

 離婚自体の進め方について見通しを立てたら、次に考えるのは子どものことです。

 子どもがいない夫婦であれば関係ありませんが、子どもがいる夫婦の場合、離婚そのものやお金の問題よりもこの点を巡って紛争になるケースが非常に多いため、以下のような点について相手の希望を予想して今後の見通しや方針を立てておくことをお勧めします。

 

 1 親権 

①こちらが取得を希望するのかそれとも相手に委ねるのか

 

②親権を希望した場合には取得できる可能性がどの程度あるのか(この点は弁護士への相談を推奨します。)

 

 2 面会交流 

①親権を相手に委ねる場合

 この場合、面会交流についてどのような取り決めを希望するかを考えておきます。

 具体的には、月の面会回数、1回の面会時間の目安、子どもの受渡方法、学校等の行事の取り扱いなどについてです。

 

②親権を希望する側

 この場合、相手が望むと思われる面会交流についてどのようなスタンスで臨むのか、あらかじめ検討しておくことが有益です。

 

【Point3 お金について】

 次に検討するのは、離婚に伴うお金の問題です。

 お金の問題として考えておくことは、概ね以下のようなものがあります。

 

 1 婚姻費用 

①婚姻費用を請求する側

 離婚成立までどの程度かかるかによりますが、話し合いが長引いたり調停などの手続が考えられる場合には当面の生活費として婚姻費用の請求が重要になります。

 そのため、婚姻費用としてどの程度の金額を望めるのか、どのような方法で請求するべきかなどについてはあらかじめ検討しておいた方が良いと思います。

 

②婚姻費用を支払う側

 他方、婚姻費用を支払うことになる側も、いつからいつまで、毎月いくら支払う可能性があるのかについて目途を立てておくことがその後の離婚の進め方に影響しますので、検討しておく必要があります。

 

 2 養育費 

①親権を希望する側

 養育費としてどの程度の金額を望めるかについては、離婚を切り出すタイミングにも影響しますので、必ず検討しておくべきポイントです。

 

②親権を委ねる側

 養育費を支払うことになる側も、いくら支払う必要があるのかを把握しておくと離婚を切り出す適切なタイミングを計ることができますので、検討しておくと良いポイントです。

 

 3 財産分与 

①請求する側

 この場合、相手にどの程度の資産があるのかや証拠の確保など、事前に検討しておくべきポイントがあります。

 証拠の確保などはあとでリカバリーが困難になることもありますので、財産分与を希望する場合にはできればアクションを起こす前の段階で弁護士へご相談ください。

 

②請求されることが予想される側

 この場合、実際に財産分与を求められたらどの程度の負担を覚悟しなければならないかを検討しておかなければ、離婚後の生計維持に支障を生じる可能性がありますので、あらかじめ試算しておく必要があります。

 

 4 慰謝料 

①請求する側

 何を根拠に慰謝料を請求するのか、その理由が本当に慰謝料の根拠となるのか、証拠はどの程度あるのか、望める金額はどの程度か等検討すべき点は多くありますが、慰謝料についてはご本人が検討しても的確に判断することは難しいところですので、弁護士への相談をお勧めします。

 

②請求される可能性のある側

 このケースでは、そもそも慰謝料の金額よりも有責配偶者として離婚自体が否定される可能性がどの程度あるかを検討しておく必要がありますので、自分に非があると考える場合にはその点も含めて慎重に検討しておくべきです。

 

 5 年金分割 

①請求する側

 年金分割を求めるには、あらかじめ必要な書類を取り付けておくことや合意方法に気を付けるべき点がありますので、事前の検討が有効です。

 

②請求されることが予想される側

 年金分割においてどの程度のものが分割されるかを検討しておくことは有益ですが、婚姻期間が短いようなケースでは請求されないこともありますし、年金分割の按分割合について争うことは困難な場合も多いため、他の検討事項に比べれば優先度は低くなります。

 

 離婚を考えた場合には概ねこのような視点で状況を整理しておくと、いざ実行に移そうと思った場合にどこが問題になりそうか、ある程度クリアになると思いますので、参考にしていただければ幸いです。

 

弁護士 平本丈之亮

 

2020年6月14日 | カテゴリー : 離婚, 離婚一般 | 投稿者 : 川上・吉江法律事務所

婚姻費用・養育費の請求方法と注意点

 

 別居することになった場合、離婚するまでの生活費として重要になるのが婚姻費用であり、離婚後の子どもとの生活のために重要となるのが養育費です。

 では、いざ婚姻費用と養育費を請求しようと思った場合、いったいどうやって請求すれば良いのでしょうか? 

 

婚姻費用

 【裁判所外での請求に決まった方式はない】 

 実は、婚姻費用を裁判所外で請求する方法に、こうでなければならないという決まった方法はありません。

 そのため、相手方が誠実に話し合いに応じる可能性が高いのであれば、口頭でもメールでも良く、方法は問いません。

 

 【請求した時点の証拠化が重要】 

 もっとも、実際のケースでは金額や支払いの期間などを巡って交渉しなければらならないことも多いですし、残念ながら請求しても何かしら理由をつけて相手が話し合いに応じないケースもあります。

 

 このように交渉で解決せず、最終的に裁判所での審判にまで至るケースでは、請求した時点に遡って支払いを命じてもらえることが多いのですが、そこで問題となるのが、果たしていつ請求したのかということです。

 つまり、口頭での請求だと実際にいつ請求したのかが不明確であるため、協議が整わず裁判所に問題が持ち込まれた場合、請求したことが証拠上明確になった時点、すなわち調停時までしか遡ってもらえないことがあります。

 そのため、裁判所での解決を求める前に任意で交渉する場合には、少なくとも、いつ婚姻費用を請求したのかを明確に証拠化しておくことが重要となります。

 この点については、内容証明郵便で婚姻費用を請求した場合にその時点まで遡って支払いを命じた裁判例(東京家裁平成27年8月13日決定)がありますので、少なくとも内容証明郵便で請求しておけば安心です。

 もっとも、証拠として残す方法はなにも内容証明郵便に限らず、例えば電子メールなどであっても、それが相手に到達した事実と到達日を証明できればそこまで遡ってもらえる可能性がありますので、最低限、そのような形で証拠化しておくことをお勧めします。

 

養育費

 【離婚と同時に取り決めする場合】 

 この場合は離婚と同時に養育費の支払いがスタートするため、請求の時期や請求方法については特に気をつけることはありません。

 ただし、ご相談を受けていると、口頭で養育費の合意をしたものの離婚協議書などの形にしていないことがあり、そのようなケースだと改めて養育費の請求をやり直さなければならないこともあるため、離婚と同時に養育費を合意する場合には形にしておくことが重要です。

 

 【離婚後に請求する場合】 

 このケースでは基本的に婚姻費用と同様に考えてよく、当事者間での交渉からスタートする場合にはまずは請求したことを明確に証拠化し、解決が難しければ調停・審判という流れに至ることになります。

 

協議が難しければいきなり調停を起こしても良い

 なお、様々な事情から婚姻費用と養育費について相手と交渉することができない場合もあると思いますが、その場合には交渉を省いて調停を起こしても手続上は問題ありません。

 むしろ、別居に至る経緯や離婚の際の事情によっては、交渉を挟むことがかえってトラブルを招く場合もあり得ますので、そのようなケースであれば初めから調停を起こすことを考えることになります。

 

 

 今回は、婚姻費用や養育費を請求する方法や注意点についてお話ししました。

 交渉からスタートする場合には請求したことを証拠化しておくこと、取り決めしたことはきちんと形にしておくことが重要ですので、それらの点に気を付けていただきたいと思います。 

 

弁護士 平本丈之亮

 

婚姻費用・養育費の不払いと勤務先情報の開示手続について

 

 婚姻費用・養育費について公正証書や調停などで取り決めをしても、残念ながら途中で支払いが滞ってしまう例がありますが、今回は、不払いに対する対応手段として新設された制度についてお話しします。

 

口座の差押えは実行性が乏しいケースが多かった

 養育費などの未払いがあった場合、公正証書や調停調書などの債務名義があれば強制執行によって財産を差し押さえるというのがセオリーですが、養育費などの未払いをする人には財産もないことが多く、これまでは預金口座を差し押さえても空振りになる例が少なくありませんでした。

 

給与を差し押さえるのが有効だが職場が分からないことが課題だった

 そのため、婚姻費用や養育費の不払いがあった場合には給料に対する強制執行をするのが有効な手段でしたが、別居や離婚から時間が経過してしまうと相手がどこで働いているのかわからなくなる場合もあり、そのようなケースでは給料の差押えをすることもできないという問題がありました。

 

民事執行法の改正によって、勤務先情報を得られるようになった

 婚姻費用や養育費については女性が権利者になる例が多く、収入が乏しい場合は婚姻費用や養育費が生活維持にとって非常に重要となりますが、このように保護すべき要請が強い権利であるにもかかわらず強制執行に実効性が伴わない状態が続いていました。

 そこで、今回、民事執行法が改正され、2020年4月1日から婚姻費用や養育費などの権利を有する人が公正証書や調停調書、審判書、判決などの債務名義を有する場合、裁判所に対する申し立てによって市町村や日本年金機構、公務員の共済組合等から相手の勤務先情報の開示を受けることができるようになりました。

 

情報開示だけで不払いの解消につながる可能性もある

 裁判所が情報提供命令を発したことや給与情報が開示されたことは、不払いをしている債務者にも通知されます(民事執行法第206条2項、同205条3項、同208条2項)。

 この手続が実施されたことは強制執行の準備をしていることの表れですが、預金などの流動資産と違って勤務先は軽々に変えることができない場合が多いため、情報開示後に実際に差押手続にまで至らずとも、開示手続が開始された時点で差押えを恐れ、自発的に支払いをする債務者もいると思われます。

 また、このような制度があるということがきちんと知識として広まれば、給与所得を得ている債務者は差押えを嫌い、不払いが発生する事例も減っていくことが一定程度期待できます。

 

公正証書や調停調書などでは、「婚姻費用」や「養育費」と明確に定めるべき

 このように、婚姻費用や養育費の不払いについては勤務先情報の開示という新たな対抗手段が設けられましたので、給与所得者に限られるという限界はあるものの、これまで回収を断念していた方が強制執行によって回収できるようになる可能性が出てきましたし、これから養育費等の取り決めをする人についてもこの制度は有効な手段となり得ます。

 もっとも、勤務先情報は債務者に与える影響も大きく、そのために婚姻費用や養育費などの一定の権利に限って認められるものです。

 公正証書や調停調書などで「婚姻費用」、「養育費」などと明確に定めれば良いのですが、実務的には「解決金」や「和解金」なとという玉虫色の名目で取り決めをする例もあり、このような定め方をすると開示制度の利用ができない可能性もありますので、これから取り決めをする場合にはきちんと名目を明らかにしておく必要があります(なお、判決や審判であれば裁判所が決めるためそのような問題はありません)。

 

勤務先情報の開示を受けるには、いくつかの条件がある

 婚姻費用や養育費等の権利者がこの手続きを利用するには、概ね以下のような条件が必要となっていますが、これらの条件を自分だけでみたすのは難しい場合もあるかと思いますので、必要に応じて弁護士への相談を推奨します。

 

主な条件

①執行力のある債務名義を有していること

②債務者に対して債務名義の正本又は謄本が送達されていること

③3年以内に財産開示手続が行われたこと

④以下のⅰかⅱのいずれかをみたすこと

ⅰ 6か月以内に行われた強制執行(又は担保権の実行)による配当で全額の弁済を受けられなかったこと

ⅱ 債権者が通常行うべき調査をし、その結果判明した財産に強制執行等をしても全額の弁済が得られないことの疎明があったこと

 

 ③の財産開示手続とは、今回の改正で新設された第三者からの情報取得制度ができる前から存在した制度で債務者自身に財産状況を報告させる制度ですが、従来は罰則が軽かったこともありあまり活用されていませんでした。

 今回の改正によって、財産開示手続に対して正当な理由なく出頭を拒否したりや回答拒否をした場合には刑罰を科せられることになりましたので、第三者から勤務先情報を得る前に、まずは債務者自身に財産情報を開示させることが必要とされました。

 

 ④は、いわゆる執行不奏効要件といわれるものですが、ⅱに記載のあるとおり実際に強制執行をすることまでは必要ではありません。たとえば、財産開示手続に債務者が出頭しなかったり、あるいは開示された内容にめぼしい資産がなかった場合には、そのような財産開示手続の結果もⅱの条件をみたすかどうかの判断材料になると思われます。

 

 婚姻費用や養育費は、本来、配偶者や子どものセーフティネットとして位置づけられるべきものと思いますが、現状は残念ながらそのような機能を果たしているとは言い難く、経済的に苦しい思いをしている方が多くいらっしゃいます。今回の改正法の活用によって、婚姻費用や養育費の不払いで困る方が少しでも減ることを期待しています。

 

弁護士 平本丈之亮

 

 

 

協議離婚と公正証書

 

 離婚の手続には、大きく分けると、①協議離婚、②調停離婚、③裁判離婚の3種類がありますが、このうち、世の中で最も利用されているのは協議離婚です。

 

 協議離婚が広く利用されるのは費用や時間の点からみて他の2つよりもコストパフォーマンスに優れているからですが、場合によっては協議内容を「公正証書」の形にしておくことが望ましいことがあります。

 

 そこで今回は、協議離婚と公正証書について詳しくお話ししてみたいと思います。

 

離婚で公正証書を作るメリット

金銭の支払いについて強制執行できる

 

 離婚協議書を公正証書としておくことのメリットとしてよく言われるのは、金銭の支払いについて強制執行できるという点です。

 

 養育費・財産分与・慰謝料など一定の金銭の支払いを合意する場合、不払いがあっても当事者間での離婚協議書だけでは強制執行することができず、強制執行に着手する前に別途裁判所の手続きが必要になりますが、これをいちいち踏まなくても良くなるのが一番のメリットです。

 

 【強制執行認諾文言が必要】 

 もっとも、公正証書であれば必ず強制執行できるわけではなく、公正証書の中に、約束違反があった場合には直ちに強制執行されても異議はない旨の文言を盛り込む必要があります(これを「強制執行認諾文言」と言います)。

 

単独で登記手続はできないが、公正証書にする意味はある

 

 財産分与として不動産の名義を変更することがありますが、これを公正証書の形で合意しても単独で名義変更することはできず、元夫婦が共同して申請する必要があります。

 

 そのため、相手が約束を守らなかった場合は公正証書によって登記手続はできませんので訴訟によって名義変更を求めることになります。

 

 そうすると、不動産の財産分与を公正証書にしておく意味はないと思われるかもしれませんが、公正証書は公証人が当事者の意思を確認して作成するものであり一般的に信用性の高い文書とみなされているため、裁判になったとしても脅迫があったなどと争うことは難しく、そのような争いを防ぐうえで公正証書にしておく意味はあります。

 

年金分割に使うことができる

 

 また、年金分割を求める場合にも公正証書を作る意味はあります。

 

 年金分割をするにはいくつか方法があり、①年金事務所等に双方が出向いて手続きをする方法、②年金分割に関する合意書に公証人の認証をもらい、これを用いる方法、③年金分割の合意を公正証書にする方法、④裁判所の調停・審判を行い、調停調書や審判書で手続きをする方法、があります。

 

 公正証書はこの4つの方法のうちの1つであり、離婚協議書を公正証書の形にするときに盛り込むことが多いやり方です。

 

紛争の蒸し返しを防止することが期待できる

 

 離婚は感情的な問題が絡むため、ケースによっては離婚が成立した後もトラブルに発展することがありますが、公正証書によって離婚条件を明確にし、公正証書に記載したもの以外は互いに請求しないという条項(清算条項)を盛り込むくことにより、少なくとも経済的な側面(財産分与や慰謝料など)については解決が図られ、追加請求などのトラブルを防ぐ効果が期待できます。

 

 当事者間での離婚協議書でもそのような効果はありますが、無理矢理合意させられた等といった理由で協議書の効力を争われることもあり、あらかじめ信用性の高い公正証書にしておくことでそのような争いを防げる可能性が高まります。

 

よくある誤解

 このように、公正証書にはメリットがある一方、決して万能ではなく、公正証書について以下のような誤解をなさっている方もいらっしゃいます。

 

面会交流の強制執行はできない

 

 先ほど述べたとおり、公正証書で強制執行できるのは金銭の支払いに関するものであるため、公正証書で面会交流についての取り決めをし、これが果たされなかったとしても強制執行はできません。

 

強制執行そのものは裁判所での申立が必要

 

 これもよくある誤解ですが、公正証書を作成したからといって、不払いの場合に強制執行(差押え)が自動的にされるというわけではなく、差し押さえる財産を調査し、別途裁判所に対して強制執行の申立をしなければなりません(これは調停や裁判でも同じです)。

 

 ただ、全く文書がなかったり、当事者間で作った離婚協議書だけしかないという場合には、強制執行の前段階として裁判所での手続が必要になるため、先ほど述べたとおりここを省けるというのが公正証書の意味となります。

 

不動産について単独で名義変更できない

 

 これは先ほどお話ししたとおりです。

 

公正証書で取り決めた内容を変更することはできるのか?

 このように、公正証書には強い効力が認められますが、一旦、公正証書で取り決めた内容を後で変更することはできるのでしょうか?

 

・一方的な変更は難しい

 

 先ほど述べたとおり、公正証書は信用性の高い文書とされていますので、詐欺や強迫などがあったとして後で内容を争うのは困難です。

 

・当事者が合意してやり直すことは可能

 

 他方で、当事者が改めて合意し直して内容を変更することは可能です。

 

 ただし、財産が一旦移転してしまった場合、これを再度移動するとなると、単なる贈与であると見なされて税金問題が生じる可能性もあるため、多額の財産移動があった場合には注意が必要と思われます。

 

 これに対して、養育費について将来支払われる金額を合意で変更するのは特段問題ありません。

 

・養育費は事情変更によって変更されることはある

 

 また、当事者間で合意ができなかった場合でも、養育費については、公正証書作成後の事情変更によって金額が変更される場合があります(東京高裁平成28年7月8日決定)。

 

 たとえば、養育費を受け取る側が再婚し、再婚相手と子どもを養子縁組させた場合や、支払う側の収入が大幅に減ってしまったような場合などには、公正証書で取り決めた金額が変わる可能性があります。

 

公正証書は必ず作った方が良いのか?

 以上のように、公正証書には限界はあるものの、夫婦双方に一定のメリットがあります。

 

 もっとも、公正証書は必ず作らなければならないものではありませんので、たとえば子どもがおらず、財産分与・慰謝料・年金分割等も問題にならないのであれば作る必要はありません。

 

 また、双方が冷静に話し合いができ、相手の人格や社会的地位等から約束を守ることが期待できる場合や、双方に弁護士がついて協議を行い、支払いも1回で済むようなシンプルなケースであれば、当事者間での離婚協議書の作成にとどめておくことも考えられます。

 

 離婚を進めるには、単に条件をどうするかというだけではなく、その条件をきちんと守らせるにはどうしたらよいか、離婚が成立した後のトラブルを避けるにはどういう取り決めにしたら良いかなどいろいろな検討事項があり、公正証書を作るべきかどうかも人によって異なります。

 

 また、公正証書は当事者間での離婚協議書よりも強い効力が認められているため、一旦合意した後で内容を覆すのは困難な場合が多いため、公正証書を作るかどうか迷った場合には、男女問わず弁護士への相談をご検討ください。

 

弁護士 平本丈之亮

 

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2020年5月20日 | カテゴリー : 離婚, 離婚一般 | 投稿者 : 川上・吉江法律事務所

自衛官の若年定年退職者給付金と財産分与

 

 財産分与の対象となり得るものとして退職金がありますが、退職金に似たものとして財産分与の対象となるかどうかが問題になることがあるものとして、自衛官の退職後に支給される「若年定年退職者給付金」というものがあります。

 

 あまり一般的なお話ではありませんが、この点については参考になる文献等が乏しいため、自衛官の方と配偶者の方との間でこの点が問題となった場合の一助になるよう、今回は若年定年退職者給付金と財産分与をテーマに取り上げてみたいと思います。

 

若年定年退職者給付金とは?

 

 若年定年退職者給付金とは、自衛官が通常の公務員や私企業に勤める方に比べて大幅に若年で定年を迎えることから、早期退官による収入減少がもたらす隊員の生活不安を解消し、優秀な自衛官を確保するという政策的な目的に基づき給付されるものです(法的根拠は防衛省の職員の給与等に関する法律第27条の2ないし16)。

 

なにが問題か?

 

 このように若年定年退職者給付金は、いわゆる通常の退職金とは異なる趣旨・目的のもと政策的に支給されるものであるため財産分与の対象になるのか、というのが問題の所在です。

 

若年定年退職者給付金が財産分与の対象となるかどうかについて確定的な見解はない

 

 この問題を考える上では、そもそも退職金がなぜ財産分与の対象になるかという点から考える必要があると思いますが、退職金が財産分与の対象となるのは、これが過去の労働の対価の後払いとしての性質を有し、そのような過去の労働部分について、他方配偶者には財産形成上の貢献が認められるからとされています。

 

 そうすると、若年定年退職者給付金が財産分与の対象となるかどうかは、この給付金が過去の労働の対価としての性質を有するかどうかという観点から検討していくことが有効なアプローチであると思われますが、この給付金には以下のような特徴があります。

 

・若年定年退職者給付金は、若年定年制から生じる他の労働者との収入の格差という不利益を補い、優秀な隊員を確保するという政策目的で給付されるものであること

 

・退職後の収入水準によっては、返納や支給調整があること

 

 上記のとおり、自衛官は若年定年制によって他の労働者との間で将来の収入格差が生じる可能性があるため、そのような経済的格差の発生を政策的に補うものであることや、若年定年退職者給付金が過去の対価としての性質を有しているならば退職後の収入水準と連動させる必要はなく過去の勤務実績に応じて支給すれば足りることからすると、個人的には当該給付金が過去の労働の対価としての性質を有するというのは違和感を覚えます。

 

 したがって、退職金が財産分与の対象となる根拠を過去の労働の対価であるという退職金の性質論に求め、若年定年退職者給付金がこれと同視できるかどうかという点を判断要素とするならば、財産分与の対象にはならないという結論につながっていくと考えます。

 

 他方で、若年定年退職者給付金は自衛官の地位にあったことに基づき支給されるものであり、過去の労働に対して配偶者が貢献した結果、定年時に給付金を得られる地位を得るに至ったと評価したうえで、そのような自衛官たる地位の維持に対する貢献があれば十分であると考えるならば、当該給付金が財産分与の対象になるとの解釈も成り立ち得るように思われます。

 

 もっとも、地位や資格については、その取得に配偶者が貢献した場合でもそれ自体を財産分与の対象とすることはできないという見解もあり(東京地裁平成19年3月28日判決・・・医師免許、認定医の資格及び博士号の各取得について寄与があり、これらの資格、地位を無形の財産と評価して分与対象とすべきとの主張について、分与対象財産はないとして排斥したもの)、自衛官という地位の維持について貢献があることを根拠に給付金が財産分与の対象となるとの結論にも疑問は残ります。

 

 私自身は実際に接したことはありませんが、この論点については肯定・否定両方の裁判例があるようであり、そうすると、財産分与を求める側、求められた側のどちらであっても若年定年退職者給付金の取り扱いについては簡単に結論が出ない可能性があることを踏まえた上で協議等を進める必要があると思います。

 

弁護士 平本丈之亮

 

財産分与をやり直すことはできるか?

 

 離婚の際に財産分与の合意をしたが、いろいろな事情によってやり直したいというご相談を受けることがあります。

 では、このようなやり直しは可能なのか、というのが今回のテーマです。

 

当事者で合意してやり直すことは可能

 まず、当事者双方が合意によって財産分与をやり直すことは特段禁止されていませんので、この場合は可能です。

 ただし、すでに財産の移転がなされた後に改めて財産の移動があった場合、財産分与としての資産移動ではなく元夫婦の間における単なる贈与であると判断され、課税される可能性があり得ます(遺産分割協議のやり直しでも同じ問題があります。)ので、そのようなやり直しをする場合には事前に税理士に相談しておくのが無難です。

 

相手が約束を守らない場合に合意を解除できるか?

 それでは、いったん取り決めた財産分与の内容を相手が守らなかった場合、その財産分与の合意について債務不履行を理由に解除し、やり直すことはできるでしょうか?

 通常、財産分与の約束を守らない場合には訴訟や強制執行により解決を図ることになりますが、たとえば、早期にまとまった財産を受領することを優先し、本来もらえるはずだった内容よりも大幅に減額した内容で財産分与の合意をしたような場合には、合意自体をなかったことにしたいというニーズがあるため問題となります。

 この点については、調べた範囲ではこれを認める見解もあるものの、下級審ですが以下のように否定した裁判例がありましたので紹介します。

 

福島地裁昭和49年2月22日判決

「財産分与契約は、身分法上の法律行為であり、夫婦財産関係の清算と離婚後の扶養を目的とし、法律によって認められた財産分与請求権の内容を確定するものである。(中略)民法第五四一条による契約解除の制度は、終局的に自己の給付義務を免れることによって取引の自由を回復しようと図るものであるといえるが、このような要請は、財産分与には存しないものと考えられる。なぜならば、財産分与契約の解除を許すとしても、民法第七六八条によって認められた財産分与の義務そのものが消滅するものではなく、財産分与をやり直すことになるだけだからである。そして、複雑な財産分与のやり直しは望ましいことではなく、前記制度の趣旨に鑑み、財産分与の効力の安定を図ることが強く要請されるといわなければならない。このように考えると、財産分与契約につき民法第五四一条による解除は許されないものと解するのが相当である(なお、財産分与の意思表示に錯誤または詐欺・強迫等の瑕疵が存する場合は、別に検討を要するものと考える。)。」

 

合意に錯誤がある場合

 そのほか、財産分与の合意に重要な錯誤があり、その錯誤がなければそのような合意はしなかったといえる場合には、その合意は無効(2020年4月1日以降のものについては取消)の主張が可能であるため、財産分与のやり直しができる場合があります。

 

最高裁平成元年9月14日判決

「上告人において、右財産分与に伴う課税の点を重視していたのみならず、他に特段の事情かない限り、自己に課税されないことを当然の前提とし、かつ、その旨を黙示的には表示していたものといわざるをえない。そして、前示のとおり、本件財産分与契約の目的物は上告人らが居住していた本件建物を含む本件不動産の全部であり、これに伴う課税も極めて高額にのぼるから、上告人とすれば、前示の錯誤かなければ本件財産分与契約の意思表示をしなかったものと認める余地が十分にあるというべきである。」

 

※差戻審の東京高等裁判所平成3年3月14日判決では財産分与の錯誤無効が認められました。

 

 上記判決のほか、財産分与の対象財産である株式の価値について錯誤があったとして、裁判上の和解のうち解決金と清算条項を定めた部分を無効としたものもあります(東京地裁18年10月16日判決)。

 

本人の自由意思に基づかない場合

 たとえば、暴力や脅迫などによって相手を支配し、相手の自由意思を奪ったうえで財産分与の合意を結ばせたようなケースの場合は当然ながらそのような合意に効力はありません。

 このようなケースでは、過大な支払義務を課せられるパターンのほか、著しく低額ないしまったく分与をしない内容の合意をさせられるパターンがありますが、前者については以下のような裁判例があります。

 

仙台地裁平成21年2月26日判決

「(中略)本件財産分与合意書及び本件慰謝料等支払約束書は,いずれも,原告が,被告の不貞行為を責める態度に終始し,被告に対する暴力を繰り返し,被告を自己のコントロール下に置いた上で,被告をして原告の指図どおりの内容で本件財産分与合意書及び本件慰謝料等支払約束書を作成させたものであって,被告の自由意思に基づいて作成された文書ではないと認めるのが相当である。したがって,本件財産分与合意書及び本件慰謝料等支払約束書に表示された被告の意思表示は,意思表示としての効力を有さず,いずれも無効というべきである。」

 

合意の効力がないことが確定した時点で離婚から2年が経過している場合

 財産分与は離婚から2年以内に請求をする必要があり、これは途中でその期間を止めることができないもの(除斥期間)と考えられています。

 そうすると、財産分与の合意が裁判所で争われ、合意の効力が確定的に否定された時点ですでに2年が経過しているというケースもあり、その場合に改めて財産分与の請求ができるのか、ということが問題となります。

 この点について、先ほど紹介した最高裁判決の差戻審である東京高等裁判所平成3年3月14日判決では、民法161条を類推適用して、除斥期間が経過後も一定期間は財産分与の請求が可能であるとしています。

 

東京高等裁判所平成3年3月14日判決

「本件財産分与契約の錯誤無効が認められた場合には、当事者間で改めて財産分与について協議を行うことになるが、右協議が調わないとき又は協議をすることができないときに家庭裁判所に対して協議に代わる処分を請求することができるかどうかについては、右請求の除斥期間を離婚の時から二年と定める民法七六八条二項ただし書の規定との関係で疑問がないではない。しかし、右規定の趣旨と、本件事案の下において被控訴人に右協議に代わる処分の請求をあらかじめ行わせることは期待できないことを考えると、時効の停止に関する民法一六一条の規定を類推適用する余地があり、本件財産分与契約の錯誤無効が確定した後に行う右協議に代わる処分の請求が前記除斥期間の定めによって妨げられるものとは解されない。」

 

 なお、民法161条は改正によって猶予される期間が2週間から3か月に変更されており、この東京高裁の見解に従った場合、改正民法施行(2020年4月1日)後に合意したものについては、効力否定から3か月間は時効の完成が猶予されると思われます。

 他方、改正民法が施行される前に合意し、施行後に合意が否定された場合にどちらの期間が適用されるのかは判然としませんので、そのようなレアケースの場合には念のため2週間以内に裁判所に対して財産分与の請求を行っておくのが無難だと思います。

 

弁護士 平本丈之亮

 

 

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別居期間は年金分割に影響するか?

 

 離婚の際に請求できるものとして「年金分割」がありますが、当職へのご相談の中でも年金分割についてのご質問が出ることが多くあります。

 

 ところで、実際に離婚に至るまでの間、長い期間別居している夫婦がいらっしゃいますが、そのような別居期間が長いケースにおいて、年金保険料の納付実績が多い方(多くは夫)から、年金分割の按分割合を5:5から修正すべきではないか(割合を減らしてほしい)、という主張をされることがあります。

 

 今回のテーマは、果たしてこのような理屈は通るのか?というものです。 

 

 別居と年金分割の按分割合の問題について裁判例がありますので、まずはそのうちのいくつかの裁判例を簡単に紹介していきます。

 

札幌高裁平成19年6月26日決定

「抗告人は,抗告人が定年退職する7年前から別居し,抗告人が定年退職した後は家庭内別居をしている旨主張する。しかし,前記引用に係る原審判が説示するとおり,婚姻期間中の保険料納付や掛金の払い込みに対する寄与の程度は,特段の事情がない限り,夫婦同等とみ,年金分割についての請求割合を0.5と定めるのが相当であるところ,抗告人が主張するような事情は,保険料納付や掛金の払い込みに対する特別の寄与とは関連性がないから,上記の特段の事情に当たると解することはできない。したがって,抗告人の主張は失当である。」

 

注 婚姻期間約35年 別居期間約7年 家庭内別居約7年

 

東京家裁平成20年10月22日審判

「対象期間における保険料納付に対する夫婦の寄与は,特別の事情がない限り,互いに同等と見るのを原則と考えるべきである。(中略)」
「そして,法律上の夫婦は,互いに扶助すべき義務を負っており(民法752条),仮に別居により夫婦間の具体的な行為としての協力関係が薄くなっている場合であっても,夫婦双方の生活に要する費用が夫婦の一方または双方の収入によって分担されるべきであるのと同様に,それぞれの老後等のための所得保障についても夫婦の一方または双方の収入によって同等に形成されるべき関係にある。(中略)」
「(中略)別居後も,当事者双方の負担能力にかんがみ相手方が申立人を扶助すべき関係にあり,この間,申立人が相手方に対し扶助を求めることが信義則に反していたというような事情は何ら見当たらないから,別居期間中に関しても,相手方の収入によって当事者双方の老後等のための所得保障が同等に形成されるべきであったというベきである。

 したがって,相手方が主張する事情は,仮に事実と認められたとしても保険料納付に対する夫婦の寄与が互いに同等でないと見るべき特別の事情にあたるとはいえないから,その主張自体失当であり,申立人と相手方との間の別紙記載の情報に係る年金分割についての請求すべき按分割合は,0.5と定めるのが相当である。」

 

※注 婚姻期間約30年 別居期間約13年

 

大阪高裁判平成21年9月4日決定

「年金分割は,被用者年金が夫婦双方の老後等のための所得保障としての社会保障的機能を有する制度であるから,対象期間中の保険料納付に対する寄与の程度は,特別の事情がない限り,互いに同等とみて,年金分割についての請求すべき按分割合を0.5と定めるのが相当であるところ,その趣旨は,夫婦の一方が被扶養配偶者である場合についての厚生年金保険法78条の13(いわゆる3号分割)に現れているのであって,そうでない場合であっても,基本的には変わるものではないと解すべきである。
 そして,上記特別の事情については,保険料納付に対する夫婦の寄与を同等とみることが著しく不当であるような例外的な事情がある場合に限られるのであって,抗告人が宗教活動に熱心であった,あるいは,長期間別居しているからといって,上記の特別の事情に当たるとは認められない。」

 

※注 婚姻期間約36年 別居期間約14年

 

大阪高裁令和元年8月21日決定

「抗告人と相手方の婚姻期間中44年中、同居期間は9年程度にすぎないものの、夫婦は互いに扶助義務を負っているのであり(民法752条)、このことは、夫婦が別居した場合においても基本的に異なるものではなく、老後のための所得保障についても、夫婦の一方又は双方の収入によって、同等に形成させるべきものである。この点に、一件記録によっても、抗告人と相手方が別居するに至ったことや別居期間が長期に及んだことについて、抗告人に主たる責任があるとまでは認められないことを併せ考慮すれば、別居期間が上記のとおり長期間に及んでいることをしん酌しても、上記特別の事情があるということはできない。」

 

※注 婚姻期間44年 別居期間約35年 2020年7月17日追記

 

 以上のような裁判例を見ていくと、別居期間が長いという点だけで年金分割の按分割合が修正されるとはいいがたく、保険料納付に対する夫婦の寄与を同等とみることが著しく不当といえる「特別の事情」が必要、というのが裁判所の考え方の主流であるように思われます(ただし、婚姻期間のほとんどが別居であるという極端なケースでも按分割合が修正されないのかまでは分かりません)。

 

どのような事情が特別の事情にあたるのか

 では、どのような場合であれば年金分割の按分割合が修正されるのか、というのが次の問題ですが、この点は明確な基準は確立されておらず事案毎の判断としか言いようがありません(ただ、大阪高裁令和元年8月1日決定では、別居やその長期化について請求者側に主たる責任がある場合、特別の事情に該当しうることを示唆しています 2020年7月17日追記)。

 

 もっとも、近時の裁判例において、長期間の別居を理由としたものではないものの、「特別の事情」を認めて年金分割の按分割合を修正したものがありますので、本コラムのメインテーマからは外れますが参考としてご紹介したいと思います。

 

東京家裁平成25年10月1日審判

 この裁判例では、裁判所は概ね以下のような事実を指摘したうえで年金分割の按分割合を修正する判断を下しました(申立人(夫):相手方(妻)=3:7)。

 

①夫が1000万円単位の負債を負ったり妻から借入れをしたり、入院により経費がかかったりして、相手方が家計のやりくりに苦労したであろうことが認められること

②夫が会社を退職した後、夫は不定額の生活費を負担していたものの、それだけでは家計を維持するには不足していたこと

③妻が専任教員として勤務するようになってからは妻の収入を主として家計が維持されていたこと

④婚姻してから33年間、夫は一部上場企業に勤続して相当額の収入を得ており、借入金も大部分は退職金で返済したこと

⑤妻は、婚姻期間約50年間のうち約30年近くは概ね専業主婦として生活し、その間の家族の生計は夫の給与収入により維持されていたこと

⑥退職金額について、双方ともに明らかにしていないこと

⑦離婚調停において、妻は自宅建物に対する申立人の持分を財産分与として取得し、離婚後は妻が住宅ローンを返済する内容で合意し、他方、お互いの預金等の財産は分与対象としなかったこと

⑧その他本件に現れた一切の事情(詳細不明)

 

 この裁判例を読んでみても、どの事実が大きく影響して年金分割の按分割合が修正されたのかは判然としませんでしたが、このケースでは夫が多額の負債を抱えるなど妻が苦労していたようですので、個人的にはそのあたりが修正の決め手になったのかなと推測しています。

 

 弁護士 平本丈之亮 

 

 

最近の裁判例に見る不貞による(離婚)慰謝料

 

 弁護士として離婚問題を扱っていると必ず出会う相談に、不貞による離婚と慰謝料に関するものがあります。

 

 もっとも、不貞によって離婚する場合に慰謝料の請求ができることは皆さんご存知ですが、ではその金額はいくらが妥当なのかと言われると、なかなか分からないという方が多いと思います。

 

 正直に申し上げると慰謝料の金額は弁護士でも判断が難しいところなのですが、今回は、慰謝料を請求する側、あるいは請求された側の解決のヒントとして、最近の裁判例ではどの程度の金額が認められているのかを紹介してみたいと思います。

 

 なお、今回ご紹介する判決は、夫婦の一方が他方に対して、不貞行為により婚姻関係が破綻したことを理由に慰謝料を請求した事案をピックアップしたものであり、近時重要な最高裁判決の出た不貞相手に対する慰謝料請求や、婚姻関係が破綻に至らなかったケースについては参考になりません。

 

 また、あくまで当職が利用可能な判例集で見つけた範囲のものにすぎず、慰謝料の算定にはそれぞれの判決で認定された個別の事情が大きく影響していると思われますので、ここで紹介した判決が認めた金額がすべてのケースで妥当するとは限らないこともあらかじめお断りしておきます。

 

東京地裁平成30年2月22日判決

【慰謝料】

 150万円

 

【婚姻期間】

 不貞行為が開始されたと思われる時点で約17年

 

【不貞行為の期間】

 約9か月間

 

【離婚】

 未成立(ただし、双方離婚の意向あり)

 

【その他判決で指摘された事情(一部)】

①不貞行為者は不貞相手との結婚まで考えていたこと

 

②夫婦間に実子がいなかったこと

 

③他方配偶者側の言動や不貞発覚後の対応にも問題があったかのような指摘(詳細は割愛)

東京地裁平成30年2月1日判決

【慰謝料】

 200万円

 

【婚姻期間】

 約39年(ただし、そのうち約18年弱が別居期間)

 

【不貞行為の期間】

 離婚成立まで約18年(うち不貞相手との同居期間約12年)

 

【離婚】

 成立

 

【その他判決で指摘された事情(一部)】

①離婚調停において、約530万円の財産分与が約束されたこと

 

②不貞行為者が、別居後、約15年強で5000万円を超える生活費を支払ったこと

東京地裁平成30年1月12日判決

【慰謝料】

 200万円

 

【婚姻期間】

 約5年

 

【不貞行為の期間】

 不明確

 

【離婚】

 成立  

 

【その他判決で指摘された事項(一部)】

①原告が再婚であったこと

 

②不貞行為者が複数の者と不貞行為に及んでいたこと(少なくとも3名以上)

東京地裁平成30年1月10日判決

【慰謝料】

 150万円

 

【婚姻期間】

 婚姻関係破綻時までで約6~7年 

 

【不貞行為の期間】 

 約1ヶ月

 

【離婚】

 不明(ただし、婚姻関係が破綻したことは認定)

 

【その他判決で指摘された事情(一部)】

①不貞行為者が短期間で別居を決意するに至っており、不貞行為が破綻の決定的要因になったこと

 

②不貞行為者である実親が、自分の実子に対して、他方配偶者は実の親ではないという事実(養子縁組したこと)を明かしたこと

 

③不貞行為者は、離婚を切り出してからわずかの間に、秘密裏に家財等の財産を持ち出し、これによって他方配偶者は子どもとの別居生活を余儀なくされたこと

 

④不貞行為に及ぶ前の段階で婚姻関係は破綻に近づいていたこと

東京地裁平成28年11月8日判決

【慰謝料】

 200万円

 

【婚姻期間】

 婚姻関係破綻まで約4年弱

 

【不貞行為の期間】

 少なくとも約1年3か月

 

【離婚】

 成立

 

【その他判決で指摘された事情(一部)】

①不貞行為者が不貞相手の裸の写真を所持し、これを他方配偶者が発見したこと

 

②夫婦間に子どもがないこと

 

 以上、慰謝料についていくつかの裁判例をご紹介しましたが、離婚が成立している、あるいはまだ離婚に至っていなくても婚姻関係が破綻しているケースでは、判決で150~200万円程度の金額が認容される可能性があることはお分かりになったかと思います。

 

 もっとも、冒頭でもご説明した通り、慰謝料は個別の事情によって変わるため最終的には事案次第としか言いようがありません。また、不貞がからむ離婚問題は非常にデリケートであるため裁判に至らず協議や調停で解決することも多く、早期あるいは穏便な解決のためやむを得ず金額にこだわらない形で処理せざるを得ないこともあるため、具体的にどのような金額が妥当かは悩ましい問題です。

 

 一口に慰謝料といっても、金額のみならず、具体的な請求の仕方や支払いの方法、履行の確保など検討しなければならないことが多くありますので、不安がある方は弁護士へのご相談をご検討ください。

 

弁護士 平本丈之亮