K弁護士の事件ファイル⑥ ~フルマラソン挑戦編~

 

ランニングを始めたきっかけ

平成27年10月、岩手弁護士会野球部は奇跡的に日弁連野球全国大会を勝ち進み、決勝戦で過去34回中23回優勝、2連覇中の東京弁護士会チームと対戦することになった。

 

勢いに乗るチャガーズは、先制された直後に同点に追いつくなど、4回まで1対2と互角に近い闘いを繰り広げたが、ガソリンが切れた5回表に1イニングで一挙11点を奪われ、最終的に1対15という無残な大敗を喫してしまった。

 

反省会において、「東京との差を埋めるためには、2日間で3試合を元気な状態で闘い抜くだけの体力をつけることが不可欠である」「皆でランニングを始めよう」という決議がなされ、ジョグノートというアプリでランニング記録を共有することになった。

 

最初は多くのメンバーがこのアプリを利用したが、全国準優勝で燃え尽き気味となってしまい、以後野球の成績は下降線をたどり続け、それに伴ってジョグノートに入力するメンバーも減っていき、最終的には5人だけになってしまった。

 

野球熱が下火になる一方で、ジョグノートメンバーのマラソン熱が上がるようになり、平成28年4月にはみんなで「イーハトーブ花巻ハーフマラソン」に参加することになった。当時K弁護士は週1回5~10キロ程度の練習量だったため、「自分の実力に見合わない大会に出場するべからず」という家訓第37条に従い、ハーフマラソンではなく10キロの部に出場することとした。

 

しかしながら、「ハーフマラソン」という名前の大会に出場しながら、「自分は10キロの部に出たんだけどね」といちいち説明するが面倒だと気付いたため、K弁護士は「大会名と異なる部門にエントリーするべからず」との家訓第95条を新たに定め、徐々にトレーニングの量を増やし、翌年からはハーフマラソンの部に出場することとした。

 

K弁護士のマラソン大会成績の推移(いずれもスタートからゴールまでのネットタイム)

1 平成23年7月 焼け走り(10キロ)

 1時間1分21秒

 

実は、まだトレーニングを始めていなかった頃に、高校同期メンバーで焼け走りマラソンに参加したことがあった。前半はひたすら下り坂、後半はひたすら上り坂という極端なコースで、調子に乗りやすい性格のK弁護士は、前半下り坂を調子に乗って飛ばし過ぎ、後半の上り坂で地獄の苦しみを味わうという、とても分かりやすい失敗を犯していた。

 

2 平成28年4月 イーハトーブ花巻(10キロ) 

 57分57秒

 

3 平成29年4月 イーハトーブ花巻(ハーフ) 

 2時間22分55秒

 

4 平成30年4月 イーハトーブ花巻(ハーフ) 

 2時間21分51秒

 

初ハーフから1年間でわずかに1分しかタイムを縮めることができなかったため、「このままでは一生フルマラソンにはたどり着けないのではないか」との考えがK弁護士の頭の中をよぎった。それでも、常日頃から「死ぬときはドブの中でも前のめりに死にたい」と考えているK弁護士は、次の瞬間には気持ちを切り替えてフルマラソンへの挑戦を決意し、半年後に開催される北上マラソンにエントリーした。

 

5 平成30年10月 北上(フル) 

   中止

 

K弁護士は、週1の練習ペースは増やせなかったものの、1回あたりの距離を15~20キロに伸ばして順調に練習を重ねていた。もとよりマラソンは雨天決行のスポーツなので、K弁護士は中止という事態を全く想定していなかったが、北上マラソンは台風接近のため大会3日前に中止となってしまったのである。この大会に命を賭けていたK弁護士は中止の決定を聞いて頭の中が真っ白になったが、すぐに気持ちを切り替えて直近でエントリー可能な大会を検索し、11月に開催される「府中多摩川ハーフマラソン」への参加を決断した。

 

6 平成30年11月 府中多摩川(ハーフ) 

 2時間2分33秒

 

K弁護士は、府中多摩川ハーフを2時間2分33秒のタイムで完走し、4月の花巻から20分近くタイムを縮めることに成功した。フルマラソン挑戦に向けた努力が無駄ではなかったことが分かり、K弁護士は満を持して平成31年2月の「いわきサンシャインマラソン(フル)」にエントリーした。

 

7 平成31年2月 いわきサンシャイン(フル) 

   中止

 

府中マラソンで確かな手応えをつかんだK弁護士は、その後も順調に練習を重ねた。もとよりマラソンは雨天決行のスポーツであり、2月は台風の時期でもなかったので、K弁護士は中止という事態を全く想定していなかったが、いわきサンシャインマラソンは直前に積もった雪のため大会2日前に中止となってしまったのである。

 

この大会に命を賭けていたK弁護士は中止の決定を聞いて頭の中が真っ白になったが、前回よりも1日余分に大会に向けた練習ができたと前向きにとらえることとし、4月の花巻ハーフ、5月の奥州きらめきマラソン(フル)に向けて気持ちを切り替えた。

 

8 平成31年4月 イーハトーブ花巻(ハーフ) 

 2時間57分24秒

 

ところが、中止の決定を聞いた翌日にランニングをしていたK弁護士は、途中で左膝が抜けるような違和感を覚えた。いわゆる「ランナー膝」という症状が出てしまったもので、この日からK弁護士の暗黒時代が始まった。膝の痛みから思うように練習ができなくなり、4月の花巻ハーフマラソンでは、右膝を庇って走るうちに右太腿にまで痛みが生じ、後半はほぼ全て歩くような状態で何とか完走(歩)したものの、2時間57分24秒という初ハーフのタイムより30分以上も遅れるワースト記録を打ち立ててしまった。

 

9 令和元年5月 奥州きらめき(フル) 

 リタイア

 

K弁護士は、約1ヶ月後の奥州きらめきマラソン(フル)に出場するかどうか迷ったが、なるべく足を休めて本番に備えるという作戦をとり、強行出場することを決意した。K弁護士は、従前キロ6分程度のペースで走っていたが、この日はキロ8分ペースで走ることとし、序盤から我慢のレースを繰り広げた。

 

10キロを経過した段階であまり膝が痛くなかったため、キロ6分台にペースを上げて気持ちよく走り始めた。折り返し地点まで順調に走ることができたため、K弁護士はこのままのペースでゴールできるものと信じて疑わなかった。ところが、フルマラソンはそんなに甘くはなかったのである。

 

折り返し後、K弁護士の足は徐々に重くなり、次第に左膝が動かなくなったため、22キロ以降は左足を引きずりながら歩き始めた。その後、徐々に歩くことさえままならなくなり、道端でしばらく休むということを繰り返しながら何とか歩き続けたが、25キロ付近で道端に座り込んだ際に突然両足が痙攣し始め、痛みでのたうち回っていたところ、たまたま救護車が通りかかり、無念のリタイアとなってしまった。

 

一緒に参加したメンバーは見事に完走したため、打ち上げの席では「30キロ以降の大変さ」「向かい風の厳しさ」というK弁護士が未体験の部分で盛り上がる他の2人の話を聞きながら、10月の盛岡シティマラソンで必ずリベンジすることを固く誓ったのであった。

 

K弁護士は、膝の痛みを何とかしなければならないと考え、妻の部活の後輩でもあるコンディショニングの先生から身体のケアを学ぶこととした。先生によると、膝そのものではなく、太腿等膝の周りの筋肉が固くなっていることが痛みの原因ではないかとのことで、膝の周りの筋肉をほぐす指導をうけた。

 

K弁護士は、6月から平日2日7キロ程度、週末1日10~15キロ程度のランニングをすることとし、コツコツと練習を続けた。ジョグノートでは、友達の誰がどれだけ練習をしたのかが分かり、また、友達の練習記録にコメントを入れることができるので、5人で切磋琢磨する良い雰囲気が形成されていた(ラグビー日本代表ばりのワンチーム)。

 

10 令和元年8月 遠野じんぎすかん(ハーフ) 

  1時間56分10秒

 

8月には遠野じんぎすかんマラソン(ハーフ)に出場した。K弁護士は、密かに友人H弁護士をペースメーカーとし、H弁護士の後ろ姿を見失わないよう必死で走ったところ、何と1時間56分10秒と府中の記録6分以上更新する予想外の成果を上げることができた。

 

11 令和元年10月 盛岡シティ(フル) 

  4時間24分07秒

 

令和元年10月25日、いよいよ盛岡シティマラソン当日である。

 

マラソン大会では、通常持ちタイムに応じてスタート位置が指定されることになっており、完走経験のないK弁護士は一番後ろのEブロックからスタートすることになった。スタート地点の岩手大学構内は道幅があまり広くなかったため、号砲が鳴ってからしばらくはほとんど前に進むことができず、K弁護士がスタート地点を通過した段階で既に11分28秒が経過していた(マラソンの公式記録は号砲からゴールまでのグロスタイムで、スタートからゴールまでのネットタイムとの差がこれだけあったということである)。

 

それでも、母校盛岡一高応援団の応援を背にスタートすることができ、スタート地点通過までのモヤモヤが一気に吹き飛んで、K弁護士のテンションはいきなりマックス状態となった。今から思うと無駄な動きであったが、遅いランナーをかき分けるように大きく蛇行しながらペースを上げ、盛岡市役所前に到達する頃にはようやく通常どおりのペースで走ることができるようになった。

 

K弁護士のランニングコースである盛岡八幡宮前を通過し、明治橋手前から御厩橋方向へ進み、盛南大橋を渡り、ゴール地点である盛岡中央公園横を通過し、太田橋袂から御所湖方面へ向けてひたすら走り続けた。これまでに参加したマラソン大会に比べると、コースの大部分が日頃良く知っている道であるため、ある程度先を見通すことができて気持ち的には楽に走ることができた。

 

 最大の難所は30キロ地点御所湖手前の上り坂であったが、K弁護士は数週間前に1度だけ試走して感覚をつかんでいたため、この難所も無難にクリアすることができた。

 

K弁護士は、35キロ過ぎで少し歩いてしまったが、40キロ手前の給水所でボランティアをしていた中学・高校時代の友人から声援を受けて気持ちを持ち直し、ラスト100メートルでは次の大会につなげるために最後の力を振り絞って猛ダッシュし、遂にフルマラソン完走を達成した。ゴール地点で待機してくれていた事務所の事務員さんは、雄叫びを上げながらゴールするK弁護士にビビってしまい、ゴールの瞬間を撮影することができなかったとのことであった。

 

12 令和2年2月 いわきサンシャイン(フル) 

   中止

 

13 令和2年4月 イーハトーブ花巻(ハーフ) 

   中止

 

14 令和2年5月 奥州きらめき(フル) 

   中止

 

15 令和2年10月 盛岡シティ(フル) 

   中止

 

K弁護士は、大会3日後から練習を再開し、徐々に平日2日8キロ、週末1日ハーフまで距離を伸ばし、順調に練習を重ねていた。ところが、新型コロナウィルスの影響により、令和2年にエントリーした大会は軒並み中止となってしまっている。フルマラソンは1勝7敗(うち不戦敗6)という酷い成績になっており、一刻も早く挽回しなければならない。

 

 新型コロナウィルスはいまだ終息が見通せない状況であるが、K弁護士は次の機会を目指して淡々と練習を積み重ねている。令和元年6月以降平日2回のランニングを追加した結果、体重は現在80キロ前後まで減っており、食べようと思えば毎日でもスキヤキを食べられる状態になっている。その一方で、川上・吉江法律事務所には「体重90キロ以上の者のみが事務所名に名前を冠することができる」との不文律があるため、「吉江法律事務所」への変更を求められている状況である(既得権を主張し、何とか踏みとどまっている)。

 

K弁護士の当面の目標は、フルマラソンでサブ4(4時間切り)を達成することであるが、将来的には(現状ではキロ1分以上差を付けられている)友人T弁護士に1度は勝ちたいと考えており、逆転のための秘策を日々探求中である。

 

注:岩手弁護士会会報20号(2022年8月)に寄稿したものを修正したものです。

 

2026年1月5日 | カテゴリー : コラム, 雑記 | 投稿者 : 川上・吉江法律事務所