1 はじめに
西暦20××年、K弁護士はついに最高裁の門を叩くことになった。
K弁護士は、司法修習生採用の健康診断の際に1度だけ最高裁まで行ったことがあったが、健康診断以外で最高裁に行くのは今回が初めてのことであった(当時は司法修習生の採用にあたって最高裁で一斉に健康診断を受けることになっていた)。
【最高裁ひと口メモ1】
K弁護士が修習前に最高裁へ行った時には、日本は三審制が採用されているのだから、今後も最高裁には何度も来ることになるのだろうと漠然と思っていた。
しかし、現実には上告事件自体それほど多くなく、最高裁の口頭弁論は多くの弁護士にとって一生のうちに1度あるかないかの体験である。
2 最高裁との交渉
最高裁の口頭弁論にはD弁護士、J弁護士、期待のホープY弁護士とK弁護士という選び抜かれた重量級の精鋭4名で臨むことになった。
D弁護士は「せっかく最高裁の口頭弁論が開かれるのだから、単に理由書の通り陳述しますというだけではなく、本格的な弁論をしよう」ということを言い出し、最高裁に問い合わせをした上で、持ち前のでかい声を生かした抜群の交渉力で弁論の時間20分を確保した。
3 弁論要旨の作成
K弁護士は、Y弁護士にかなりの部分を下請けに出すなどして必死に努力した結果、締め切りギリギリで何とか弁論要旨の担当部分を書き上げることができた。なお、一生に一度あるかないかの貴重な機会だからというD弁護士の配慮で、K弁護士が実際に最高裁の法廷で弁論を行う大役を仰せつかったのである。
原告本人の意見陳述書をJ弁護士が読み上げることになっていたため、K弁護士の持ち時間はわずか10分間であった。弁論要旨を全部読み上げていたのでは、大幅に持ち時間をオーバーすることが予想されたため、K弁護士は最高裁に提出した弁論要旨をあらかじめ削っておいたが、当日新幹線の中で何度か読み上げてリハーサルしてみたところ、どうしても3分位オーバーしてしまうことが判明した。この段階で残された時間はごくわずかであり、冷静な判断力が売り物のK弁護士も、さすがに動揺の色を隠せなかった。
【最高裁ひと口メモ2】
原告本人も最高裁に乗り込んだが、法廷の当事者席には代理人しか座れないという慣例があるとのことで、傍聴席に座るように指示されていた。全く意味不明の慣例である。本人訴訟の時は当事者席が無人のまま口頭弁論が開かれるということだろうか?
4 一世一代の晴れ舞台
口頭弁論が始まり、まずはJ弁護士が意見陳述を行った。J弁護士が意見陳述を行う10分の間に、K弁護士は目分量で3分短縮することに集中した。追い込まれた時にだけ力を発揮すると言われているK弁護士の集中力は、かつてないほど研ぎ澄まされていた。
いよいよK弁護士の順番が回ってきた。「出たとこ勝負」をモットーとしているK弁護士は、その場で必死に修正したとは思えないような落ち着きぶりで、何事もなかったかのように持ち時間の範囲内で弁論を行った。
【最高裁ひと口メモ3】
口頭弁論が終わり、法廷を出たところで記念撮影をしようとしたところ、係の人から写真撮影禁止と言われたので、やむを得ず建物を出たところで記念撮影を行った。
5 事件の顛末
最高裁の判決は、当方の敗訴部分を一部取り消して高裁に差し戻すという内容であった。K弁護士はてっきり自分の必死の弁論が最高裁の裁判官の心を動かしたと信じて疑わなかった。しかし、最高裁はこの口頭弁論の数ヶ月前に同種訴訟につき全く同様の判断を出しており、K弁護士がどんなに素晴らしい弁論を行ったとしても、結論は初めから決まっていたのであった。